卒塔婆について

お墓の後ろに立てかけてある木の板を「卒塔婆」(そとば)とよびます。
見かけたことがある人も多いのではないでしょうか。
この卒塔婆にはどのような意味があるのでしょうか。

卒塔婆の意味

卒塔婆は、供養のために用いる長さ1~2mの板を指します。
ご先祖さまや故人を供養する追善供養の目的で立てられます。
卒塔婆を立てることは「善」とされていて、故人の冥福につながると考えられています。
つまり、ご先祖さまや故人の礼儀だけでなく、立てた人の「善を積む」行為とされています。

浄土真宗においては、基本的に卒塔婆を用いません。
浄土真宗では、亡くなった後すぐに浄土へ往生すると考えられているため、卒塔婆を用いた追善供養は不要です。

卒塔婆の由来

卒塔婆の語源は、古代インド(サンスクリット語)の「仏塔」を意味する「ストゥーバ」を漢訳したものです。
ストゥーバとは、お釈迦さまの遺骨を納めた塔で、五重塔の起源といわれています。
五重塔をもとにつくられた五輪塔が卒塔婆の起源です。
卒塔婆は五輪塔が簡略化されたものなので、板の側面に刻み(凹み)があるのです。
五輪塔、卒塔婆には、人間が生かされているとされる5大要素があらわされています。

  • 「空」:一番上の宝珠型
  • 「風」:その下の半円形
  • 「火」:その下の三角形
  • 「水」:その下の円形
  • 「地」:一番下の四角形

卒塔婆と施餓鬼法要

卒塔婆を立てる目的は、ご先祖様や故人を追善供養するためです。
追善供養を行うことで、故人の冥福を祈ることができます。

お盆に時期になると、寺院では施餓鬼法要を行います。
施餓鬼法要とは、餓鬼道に落ちた霊に食べ物を施して供養する法要です。
仏教でいう餓鬼とは、いつも飢えと渇きで苦しんでいる亡者をさします。
自分の力では飢えと渇きの苦しみから抜け出すことのできない餓鬼にとって、施餓鬼法要が唯一の救いになるとされています。
皆で持ち寄った米や野菜、果物、菓子などと一緒に卒塔婆をたてて法要を行います。
自分と直接的に縁のない霊に施しを行うことで、その功徳が施主やご先祖様に届きます。
施餓鬼法要で卒塔婆を立てることにより、追善供養となり善につながります。

卒塔婆に書かれている言葉

卒塔婆に書かれる内容は以下のものがありますが、宗旨・宗派や寺院によって異なります。

  • 梵字・経文・題目など
  • 戒名
  • 回忌
  • 供養年月日
  • 施主名

卒塔婆の準備

卒塔婆は寺院に依頼して立てるのが一般的です。
卒塔婆は、法要やお盆・お彼岸に立てることが多いですが、盆や彼岸は繁忙期となるため早目に依頼したほうがよいでしょう。

卒塔婆料を入れる封筒の表書きには「御塔婆料」「卒塔婆代」などと記載します。
寺院によって卒塔婆代が決められていることが多いですが、通常は3,000円~5,000位です。

法要が終わると、卒塔婆はお墓に置くことが多いです。
一般的には、墓石の後ろに卒塔婆立ての台があるので、そこに立てておきます。

卒塔婆の処分

古くなった卒塔婆を処分するのは、新しい卒塔婆を立てた時です。
卒塔婆は木製なので、時間の経過とともに腐食、劣化してしまいます。
長期間放置しておくと、虫の巣になってお墓が汚れてしまったり、風で倒れてしまうことも考えられるので、新しい卒塔婆が立っていなくても処分することもあります。
指定された場所に移すことで、寺院や霊園がお焚き上げなどで処分してもらう方法が一般的です。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

今回は「卒塔婆」をテーマに記事をまとめました。

卒塔婆には、立てる時期や本数などに決まりはなく原則自由です。
(もちろん寺院や霊園の決まりに従う必要はありますが…)
家族一人一人がそれぞれ1本ずつ立てたり、「子供一同」や「○○家一同」としてまとめて立てることもできます。
また、遠方でお墓参りが難しい場合であっても、寺院に連絡して卒塔婆を依頼することが可能な場合もあります。

卒塔婆は、ご先祖様や故人へのお手紙の意味合いも含んでいます。
善を積む行為にもなりますので、是非卒塔婆を立ててみてはいかがでしょうか。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

功徳を積む方法って何?

よく「功徳(くどく)を積みなさい」と言われるけど、具体的にはどのような行動をすればよいのでしょうか?
ここでは、「功徳とは何か」「功徳を積む方法」をご紹介します。

功徳の意味

「功徳」とは、世のためになること、人のためになることをする行いのことを指します。
仏教用語のひとつで、善行をもたらす元となる行いとされています。
善い行いをして、お互いが支え合い、皆が助け合って生きています。
皆が功徳を積めば、世の中が安定して、より良い社会が生まれてくるという仏教の教えでもあります。

「お互いさま」「お天道さまが見ている」など、元来日本人は他者を敬う文化をもっています。
自分勝手で一人で生きていると考えている人には功徳を積むことはできません。
人は助け合っているからこそ功徳を積むことができるのです。

死後の世界にお金を持っていくことはできませんが、この「功徳」だけはあの世に持っていくことができるとされています。

功徳を積む方法

功徳は、誰かに強要されて行うものではありません。
自発的な自分の意思で行うことに意味があります。

結果や見返りを求めず他人のために行う行為であり、自分のための行動ではありません。
以下、具体的な功徳を積む行いについて紹介いたします。

贈り物をする


プレゼントを贈ることで、相手を幸せにするとともに、自分も幸せになる方法です。
お返しを期待せず、私利私欲のない行動が功徳を積むことにつながります。

街頭やコンビニなどでの募金活動も立派な人助けです。
募金の他、学用品や古着などを寄付することや献血なども支援活動で功徳になります。

他者に施しを与えるお布施には3種類あるとされています。

  1. 財施:金銭や物を施すこと
  2. 無畏施:安心を与えること
  3. 法施:仏教の教えを説くこと

贈り物をする行為は「財施」にあたります。

困っている人の手助けをする

ボランティアなどに参加することも功徳となります。
財力がなくてもできるお布施があります。
見返りを求めることなく善行を行うことで幸福になれるという「無財の七施」という言葉があります。

  1. 眼施:優しいまなざしで接する
  2. 和顔悦色施:にこやかな笑顔で接する
  3. 言辞施:優しい言葉で接する
  4. 身施:自分の身体で奉仕する
  5. 心施:相手のために心をくばる
  6. 床座施:席をゆずる
  7. 房舎施:休憩場所を提供する

ちょっとしたことですが、尽くす心が大切です。

「無財の七施」について詳しくはこちら

巡礼めぐりをする


四国の八十八ヵ所巡りは「お遍路」として有名です。
弘法大師の功徳をいただけるとされています。
四国の巡礼は、信仰心がなくても参加することができ、観光気分で行う方も多いです。
すべて廻ると、優しいご加護をいただきご利益があるとされています。
四国の八十八ヵ所巡りに限らず、他にも巡礼めぐりができるコースが国内にたくさんあります。
番号がついた札所巡りを行ってみてはいかがでしょうか。

ご朱印集めをする


寺社参拝の記念としたご朱印を集めることも功徳のひとつとなります。
ご朱印ガールとして若い女性を中心に、パワースポット巡りとあわせてご朱印集めの人気が高まっています。
ご朱印帳も若い女性を意識したカラフルなものやかわいらしいデザインのものが増えています。
参拝した日時も記載されるので旅の記録、思い出の形として残ります。

ご朱印は参拝した証であり、神様や仏様の分身とされているものです。
記念スタンプとは異なりますので、先に参拝してからご朱印をいただくなどマナーを守りましょう。

巡礼めぐりの場合には決まった寺院へ訪問する必要がありますが、ご朱印集めは好きな場所で行うことができます。
手軽に行うことができ、ご朱印帳を持っているだけでご利益があります。

写経をする


仏教の経典を写すことを写経といいます。
一般的には、「般若心経」を写経します。
1300年以上前から、多くの人々が写経を実践しています。
精神集中することで、心や身体、脳の良い効果があることがわかり、若い人たちにも人気が高まっています。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

今回は「功徳を積む」をテーマに記事をまとめました。

上記の他にも、掃除も功徳を積む行いのひとつです。
自宅の前の道や隣の家の前の道を掃除することも周りの人々を思いやる行動となります。
さらに職場のトイレなど人が嫌がる場所を掃除することも功徳に繋がるのではないでしょうか。

現代社会は、忙しい毎日で人間関係が希薄している世の中だといわれています。
しかし、相手に対して思いやりをもって接する人に辛く当たる人はいないはずです。
優しい言葉をかけることで相手の固くなった心を開いてくれることでしょう。
自身でできることから功徳を積むことで心穏やかに過ごしたいものですね。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

六曜って何?

カレンダーや手帳などに「大安」や「仏滅」などが書かれています。
この暦のことを【六曜】(ろくよう・りくよう)とよびますが、最近では馴染みが薄くなっています。
迷信だと考える人が多い一方、冠婚葬祭や買い物など私たちの生活に深く根付いている一面もあります。
ここでは、六曜や縁起などについて解説していきます。

六曜の意味

六曜では以下の順番で縁起が良いとされています。
大安→友引→先勝→先負→赤口→仏滅

大安(たいあん)

六曜の中で最も縁起の良い日とされています。

大安の意味

一日中吉で、万事に良しといわれ何事にも良いとされる日です。
「泰安」が元になっており、結婚式や入籍、開店・開業などの他、自動車の登録や納車、建物の基礎工事や引渡しなどをこの日に指定するという人も多いです。

友引(ともびき)

六曜の中で大安に次ぐ吉日ですがお葬式の凶日とされています。

友引の意味

本来、勝負の決着がつかない日という意味があります。
朝と夕は吉ですが、昼(11時~13時)は凶とされています。
「友を幸せに引く」といわれ、結婚式などのお祝い事に吉となっています。
「友を冥土に引く」といわれることからお葬式の凶日とされ、火葬場など葬祭関連業が休業日となっていることが多いです。

先勝(せんしょう/さきがち)

大安、友引に次いで3番目の吉日とされ、先勝に結婚式を挙げる人も多いです。

先勝の意味

「先んずれば即ち勝つ」という日とされ、午前は吉、午後からは凶です。
急用の処理や訴訟、勝負事には吉とされています。

先負(せんぶ/さきまけ)

負とありますが、「小吉」「周吉」の意味合いがあり吉日です。

先負の意味

「先んずれば即ち負ける」という日とされ、午前は凶、午後からは吉です。
争いごとに良くない日とされ、平静を守るのが良いとされています。

赤口(しゃっこう/しゃっく)

仏滅と並び凶日です。

赤口の意味

正午ごろ(11時~13時)は吉で、それ以外は凶です。
大事を行うには良くない凶日とされ、特に祝い事は避けたほうが良い日とされています。
「赤」という字が付くため、血や火につながることは凶とされ、火の元、刃物に気を付けたほうが良いとされています。

仏滅(ぶつめつ)

六曜の中で大凶日です。

仏滅の意味

一日中凶です。
「仏も滅びる最悪の日」で万事に凶とされ、特に祝い事は避けられることが多いです。

六曜の配列

六曜は、先勝ー友引ー先負ー仏滅ー大安ー赤口の順で繰り返します。
旧暦の毎月1日になるとそれぞれ担当の日に割り振られます。

先勝1月1日/7月1日
友引2月1日/8月1日
先負3月1日/9月1日
仏滅4月1日/10月1日
大安5月1日/11月1日
赤口6月1日/12月1日

六曜の縁起について

六曜と仏教や神道など宗教的な影響は関係ないとされています。
縁起を気にする方、気にしない方それぞれいますので、知識として知っておいた方が良いと思います。

引越や新築

縁起が良いのは大安です。
縁起が悪いのは仏滅・赤口です。

葬式

葬式の凶日とされるのは友引です。
火葬場が定休日となっていることが多いです。

葬儀以外の49日や1周忌などの法要、お墓参りなどの仏事に六曜で縁起が悪い日はありません。
宗教と六曜は関係ないので、六曜を気にすることなく仏事を行って問題はありません。

結婚式や入籍日

縁起が良いのは大安・友引です。
「友を幸せに引く、幸せのおすそわけの日」という縁起をもつ友引も大吉日です。
縁起が悪いのは仏滅・赤口です。

神社のお参り

六曜と宗教的な関係はないとされています。
しかし、気になる方はお宮参りや七五三などは大安の日に行くのがよいでしょう。
また、合格祈願や安産祈願などの願掛けは、先勝の日の午前中に行くとよいかもしれません。

納車

縁起が良いのは大安です。
縁起が悪いのは友引・仏滅・赤口です。
友引は「友を轢く」という言葉から連想されるため縁起が悪いとされています。

お見舞い

縁起が良いのは大安です。
縁起が悪いのは友引・仏滅・赤口です。
友引は「何事も勝負がつかない日」といわれ、「病気に勝負がつかない」→「病気が長引く」として縁起が良くない日となっています。

六曜以外に知っておきたい吉日と凶日

六曜よりも古くから暦で重用されてきたものもあります。
縁起を担ぐのであれば参考にするとよいでしょう。

天赦日(てんしゃにち)

天赦日は、年に6回くらいしかなくとても貴重で暦の中で最高の吉日とされています。
あらゆる運気が上がるため、結婚や入籍などの慶事に向いています。

一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)

物事のはじめに最高の日とされ、買い物の吉日として知られています。
「一粒の籾(もみ)が万倍の稲穂になる」という意味があり、この日に始めたことは万倍の結果を生むとされています。

不成就日(ふじょうじゅび)

この日に行ったことは、何も実を結ばないといわれるほど最悪の凶日です。
仏滅よりさらに悪い日とされ、祝い事などは避けるのが良いとされています。

三隣亡(さんりんぼう)

三隣亡は、引越しや新築関係の行事の最凶日とされています。
「軒三軒を滅ぼす大火を起こす日」とされ、建築業界や引越しなど避けることが多いです。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

六曜の大安や仏滅などを信じる人、まったく信じない人それぞれいます。
金運の縁起を担いで、大安の日には宝くじ売り場では長蛇の列ができたり、新しい財布の購入などげんを担ぐ人は多いです。
六曜の他にも、月の満ち欠けなどによる吉凶などもあります。
暦は奥が深いものですので上手く付き合うのが大事だと思います。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

家紋を知ろう

家紋は日本固有の文化のひとつで、それぞれの家に伝わる紋章(ロゴマーク)です。
現在、家紋の数は5000以上あるといわれています。
ドラマ時代劇などで目にする機会も多いですよね。

有名な家紋

天皇家


天皇家の紋章は「菊花紋章」です。
2019年、平成から令和へ元号が変わり新天皇即位礼などで目にした方も多いのではないでしょうか。
議員バッジやパスポートの表紙にも菊紋が描かれています。
鎌倉時代に後鳥羽上皇が用いたのが起源であるとされています。

徳川家(徳川家康)


徳川家の家紋は「葵紋」、「三つ葉葵」です。
ドラマ水戸黄門でも有名ですね。
決め台詞「この紋所が目に入らぬか!」とともに印籠を出すと悪党がひれ伏すくらい権威ある家紋です。

豊臣家(豊臣秀吉)

豊臣家の家紋は「桐紋」です。
桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて神聖なものとして扱われていました。
菊紋とともに皇室のみが利用できる格式ある紋章として使われていましたが、次第に有力な武家も「桐紋」を使い始めることになります。
現代では、日本政府や首相官邸などで使われるほか、500円硬貨にも描かれています。

織田家(織田信長)


織田家の家紋は「木瓜紋」です。
瓜を真横で輪切りにした模様が鳥の巣の卵に見えるなどの理由から子孫繁栄を表す紋だと言われています。

武田家(武田信玄)


武田家の家紋は「菱紋」で「武田菱」ともよばれます。
菱形の文様は古くから用いられ、正倉院の宝物や木工品などにも残されています。
信玄は戦上手といわれていました。
4つの菱型を組み合わせることで、戦場での結束力や安定感を示す意味合いもあったかもしれません。

北条家(北条氏政)


北条家の家紋は「鱗紋」で「三つ鱗」ともよばれます。
北条家の最初の当主北条時政が、子孫繁栄のために江の島弁財天に祈願をしたところ、大蛇が美女に変身し神の言葉を伝えた後に鱗を三枚残していったという伝説からその三枚の鱗を家紋にしたのです。

真田家(真田幸村)


真田家の家紋は「六文銭」です。
命を落とした者は、三途の川を渡ってあの世に行くものだと信じられていました。
三途の川には渡し船があり、船賃(六文)を払わないと川を渡れないとされていました。
六文は現在の貨幣価値では200円~300円位です。
川の渡し賃としては妥当な金額かもしれませんね。
この六文銭は兜や戦旗で見られますが、常に命をかけて戦いに挑もうという心意気を表現したものとされています。
大河ドラマ等でも馴染み深い家紋の1つではないでしょうか。

家紋の歴史

家紋のはじまり 平安時代

平安時代に公家が牛車に車紋を付けたのが家紋のはじまりとされています。
公家の間で流行した家紋は華美な図柄が多いのが特徴です。

武家が家紋を持つようになったのは、源平の対立が激しくなった平安時代後期だといわれています。
しかし、この頃の家紋はごくわずかで、ほとんどの武家は、源氏が白旗、平氏が赤旗で敵味方の区別をしていました。

家紋の広がり 鎌倉時代~戦国時代

鎌倉時代以降、家紋は爆発的に普及します。
敵味方を区別したり、戦場での武勲を確認する手段として幔幕や旗、刀などあらゆる場所に家紋を記すようになりました。

室町時代に入ると、礼服に家紋を付けるという発想が定着していきます。

戦国時代では、下克上が盛んになり同族同士で争う事も少なくありませんでした。
ここでも敵味方の区別をするため、さらに家紋の種類が増えることになりました。
また、褒美として功をなした家臣に家紋を授けたりするなど、複数の家紋をもつ武士もいました。

庶民への広がり 江戸時代

江戸時代になり、武将間での争いがなくなると、合戦における敵味方の区別という実用的な役割は廃れていきます。
士農工商という階級社会では、家紋は家柄や身分を示すものとなり装飾的な意味合いが強くなりました。
当時、百姓や町人などの一般庶民は名字をもつことが許されていませんでした。
家紋使用の制限はなかったため、一族の標識として家紋は広がっていきました。

明治時代~現代

明治時代に入り、全国民が名字をもつようになりました。
身分規制がなくなったことにより、一般庶民が紋服を着用したり、墓石に家紋を入れることが増えました。

現代でも家紋は受け継がれていて、家の標識として使われています。
例えば、日本式家屋では瓦に家紋を入れたり、墓地に行くと家紋を彫った墓石を見つけることもあります。
家紋入りの留袖を冠婚葬祭などで着用することもあるかと思います。

家紋と名字の関係

「藤」がつく名字


「佐藤さん」「伊藤さん」「加藤さん」「藤井さん」など「藤」の字を使った名字はたくさんあります。
藤原氏が由来となっているケースが多いです。
家紋も【藤紋】(上がり藤や下がり藤など)がよく使われています。

「渡辺」さん


ワタナベの漢字は、渡辺、渡邊、渡邉、渡部など表記方法はたくさんあります。
渡辺家の家紋としては、【渡辺星紋】がよく使われています。

自分の家の家紋を知る方法

両親や親戚に聞く

最も手軽な方法が両親や親戚に家紋を尋ねる方法です。

お墓を調べる

家を意識した考え方が時代とともに薄れていく中で、現代では「先祖代々のお墓」が「家」を象徴するものとして残っています。
お墓が遠方だったり、墓じまいをして先祖の墓がない場合でも昔の記念写真などにお墓が写っている可能性があるのでよく確認しましょう。
墓石に家紋が彫刻されていることが多いので、写真などに残しておくことをおすすめします。
微妙な紋様の違いや線の太さの違いなどがあるので画像として残しておくのが良いと思います。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

今回は「家紋」をテーマに、戦国武将など馴染み深い家紋の紹介や家紋のルーツについてまとめました。
自分の家紋を知っている、という人は意外と少ないかもしれません。
戸籍謄本や除籍謄本を取り寄せることで本家が分かり、本家のお墓を見ることで自分の家の家紋が調べる、という方法もあります。
家紋について調べることで、ご先祖さまとの繋がりが実感できるのではないでしょうか。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

精進料理はダイエットに効果があります

精進料理と聞くと、修行僧の食事で質素な献立のイメージがあります。
精進料理は肉や魚などの動物性食品を使わない和食で、健康や美容などの面で効果があり女性を中心に人気が高まっています。
精進料理の魅力について見ていきましょう

食材=孫は優しい

精進料理に使われる食材を表した「ま・ご・は・やさ・し・い(孫は優しい)」という言葉があります。

【ま】

「豆類」を指します。
豆腐や湯葉などの大豆製品には植物性たんぱく質が豊富です。
新しい細胞を作り、体力をキープする効果があります。

【ご】

「ごま」を指します。
植物性脂質やたんぱく質を含んでいます。
コレステロールを一掃し血液をサラサラにする効果があります。

【は】

「わかめ」などの海藻類を指します。
ビタミンやミネラルを多く含みます。
脂肪の蓄積を防ぎ、肝機能を向上させる効果があります。

【やさ】

「野菜類」を指します。
ビタミンや繊維質を含むものが多く、腸内をきれいにしたり免疫力を強化するなどの効果があります。

【し】

「椎茸」などのきのこ類を指します。
ビタミンやミネラルを多く含み、免疫力を高めます。

【い】

「いも類」を指します。
でんぷんや繊維質を含んだものが多く、エネルギーを作り腸の働きを良くします。

健康や美容におすすめの食材

1.豆腐

精進料理といえば「豆腐」といわれるくらい欠かすことのできない食材です。
肉や魚の代わりに豆類でたんぱく質を補給します。
豆腐には、植物性たんぱく質の他にも、ビタミン・ミネラルによる滋養強壮や植物性脂質による血液浄化が主な働きで、動物性に比べて身体に優しく作用する特徴があります。

アミノ酸ダイエット

豆腐に含まれる必須アミノ酸は肝臓でたんぱく質に合成され筋肉を増やします。
筋肉はエネルギー消費が高く、筋肉を増やすことで健康的にやせることができます。

更年期障害予防

年齢を重ねると女性ホルモンの分泌が低下し、めまいや冷え、頭痛などの症状が出ることがあります。
大豆イソブラボンは女性ホルモンと成分が似ているので、予防や緩和することができます。

糖尿病予防

糖尿病は、高血糖で弱くなった血管から腎・神経障害、網膜症等を誘発します。
豆腐は血糖値を抑え、血管を丈夫にする働きをもつ予防食品です。

ボケ予防

動脈硬化で血流が悪くなると、脳への酸素や栄養素の供給が不足しボケの原因となります。
豆腐の植物性脂質は動脈硬化の原因となる悪玉コレステロールを減少します。

ガン予防

大豆イソブラボンや植物繊維を豊富に含む豆腐は、悪玉菌の増殖を抑え腸の働きを正常にします。
大豆製品を食べることで、血中の悪玉コレステロールが大幅に減少します。
免疫力を保ち発がん性物質などの毒素を排出、体内の活性酸素を除去してくれます。

大豆製品を「よく食べる人」と「ほとんど食べない人」と比較したとき、「ほとんど食べない人」の乳がん発生率が2倍以上高い、という研究報告が厚生労働省から発表されています。

豆腐半丁(約150g)を毎日食べることが健康のポイントです。

ごはん1杯
(約150g)
木綿豆腐半丁
(約150g)
絹ごし豆腐半丁
(約150g)
カロリー250kcal110kcal90kcal
炭水化物55.7g2.4g4.5g
糖質55.2g1.8g4.1g

糖質ダイエットのひとつに、ご飯の代わりに豆腐を食べるという豆腐ダイエットが知られています。
豆腐の種類によってカロリーや糖質などに多少値は違うものの、ごはん1杯と比較してかなり糖質を抑えることができるので、ダイエットに適した食材といえます。

豆腐には大豆レシチンもたっぷり含んでいます。
レシチンはコレステロールや中性脂肪を減らし、さらに蓄積した体脂肪を落とす効果も期待できる成分です。
また肌や内臓などの細胞を若々しく保つなど若返りの栄養素でもあり、血流を良くするので冷え性や肩こりの改善にも効果が期待できます。

2.麩

お吸い物でよく目にする「お麩」、原料は小麦粉です。
精進料理では、麩の煮付けなどがよくでてきます。

麩には、肌のハリを助けるコラーゲンが多く含まれ角質層の保湿効果が期待できます。
また、肌荒れやたるみ予防にも効果があるとされています。

麩は、小麦粉のグルテンが分解してできる成分、グルテンペプチドが豊富です。
グルテンペプチドには、鎮痛、血圧低下、胃液の分泌抑制などの作用があるとされるので、高血圧や、胃・十二指腸に潰瘍性の症状がある人におすすめです。

3.野菜

精進料理では、旬の野菜を楽しむことができます。
精進料理の汁物、煮物によくでてくる野菜として大根があります。
大根には、100種類以上の消化酵素が含まれています。
胃腸の働きを活発にすることによりデトックスの効果が期待できます。
また、大根の葉には眼精疲労軽減効果のあるビタミンBも含まれています。

香りの強い野菜は精進料理には用いません。
ネギ、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、ノビルなどは「五辛(ごしん)」と呼ばれ、食することが制限されています。

4.精進だし

和食で使用する「だし」は昆布やかつお節で作るのが一般的です。
精進料理では、動物性食材のかつお節が使えないため、昆布と干し椎茸を使います。

精進料理の歴史

精進料理は仏教の伝来とともに中国から日本に伝わりました。
675年、天武天皇の勅令によって僧侶の肉食が禁止されました。

仏教と精進料理

「精進」とは、ひたすらに仏道修行に励むことを指す仏教用語です。
これに「殺生戒」(動物を殺してはいけない)と「肉食戒」(僧侶の肉食禁止)が加わりました。
精進料理は「肉類・魚介類を使わず豆・野菜・穀類だけで作る修行用の食事」を意味するようになりました。

平安時代の精進料理

平安時代に天台宗、真言宗が開かれ、寺院の正式な食事として精進料理が取り入れられました。

平安時代中期の枕草子には、「そうじものいとあしき」と記されています。
「精進料理は、すごくまずい」という意味ですから、精進料理はおいしくない粗末な料理とされていました。

鎌倉時代以降の精進料理

鎌倉時代に入ると、浄土真宗や曹洞宗などさまざまな宗派が開宗されました。
それまでの仏教は、貴族や僧侶などが中心に信仰しておりましたが、鎌倉新仏教では、民衆の苦しみを救うために今まで以上に民衆にわかりやすい方法で布教を行いました。
その結果精進料理も、各宗派の教えと共に全国に広がり、一般の家庭でも食べられるようになりました。

浄土真宗と精進料理

浄土真宗の開祖、親鸞は今まで禁止されていた肉食妻帯を許しました。
その代わりに、近親者の命日には肉食を避けて潔斎し身を清めよう、として「精進日」を定めました。
志もなく形骸した平常の禁肉食よりも、たとえ数日でも、まごころと意味をもって禁肉食を行じる方が意義深いと説いたのです。
この風習は現在も各地に残っています。
近親者の葬儀の際、四十九日法要が終わるまで喪に服し、肉魚を避けた精進料理だけを食べる地域もあります。
ちなみに、喪が開けた日に食べる料理を「精進落とし」といいます。
それ以降は肉魚を食べてもよく、いわば区切りの料理となります。
都市部では葬儀が終わればすぐに精進落としになる場合がほとんどです。

曹洞宗と精進料理

曹洞宗の道元は、わが国の精進料理発展に非常に大きな影響を与えました。
毎日の暮らしに欠かせない食事について重要視し、「典座教訓(てんぞきょうくん)」「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」などを記して、食事の尊さを説きました。
曹洞宗では、熱心に調理技術の研究や工夫が行われ、その技術は現在の精進料理のルーツとなっています。

自分の命をつないでくれる自然の恵みに感謝する精進料理。
道元は「赴粥飯法」の中で、精進料理はいわば‘良薬’であり、肉体の枯死を防ぐものとして、「食事とは単に空腹を満たすものだけでなく、健康な生命を養う源である」と説いています。

千利休

安土桃山時代に茶の湯を創始した千利休は、茶と禅の心に通じるものを見出し、茶会において精進料理の影響を受けた「懐石料理」を出すようになりました。
その名は、かつて僧が飢えをしのぐため、暖めた石を懐に抱いたことに由来します。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

精進料理は家庭でも簡単につくることができます。(少し手間はかかるかもしれませんが…)

肉や魚、香の強い野菜は避けるとともに「五味五色五法」を活かすとよいでしょう。
五味:五つ(苦い・酸っぱい・塩辛い・甘い・辛い)の味付け
五色:五色(黒・緑・赤・白・黄)の食材
五法:五つ(煮る・焼く・揚げる・生・蒸す)の調理方法
豆腐を揚げる「がんもどき」、豆腐を焼く「雉(きじ)焼き」、茄子を焼く「鴫(しぎ)焼き」、野菜の天ぷら「精進揚げ」など植物系食材を動物性料理に似せる調理法も工夫されています。

素材本来の味を楽しむために、味付けは控えめにしたほうがよいでしょう。

普段は捨ててしまう野菜の皮や根、葉などは汁物の具材や浅漬けなどにしてすべて使用します。
捨てずに活かし切ることは、他の生命への感謝であり、食材の栄養をまるごと取り込むことにつながります。

精進料理は旬の食材を用いた日本の伝統文化のひとつとして、最近では若い人たちや外国人からも人気が高まっています。
医食同源という言葉もあります。
美容面や健康面からも注目されていますが、素材をひとつずつ味わい、感謝しながら楽しく食事することを心がけたいものですね。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

仏教のことば(四字熟語)

現代で使われている四字熟語の中には、仏教の言葉や教えなどが由来となっているものが意外と多いものです。

仏教の言葉というと、難しい漢字で構成されていて、意味がよくわからないというイメージを持つ方は多いのではないでしょうか。
日常でも使われることが多い四字熟語について解説していきたいと思います。

仏教が由来の四字熟語

以心伝心(いしんでんしん)

【意味】
言葉にしなくても、お互いに相手の気持ちや言いたい内容が伝わること。
【解説】
言葉や文字による教えにとらわれていては悟りの境地に達することはできない、という禅宗で重視されている考え方です。
言葉の概念ではなく体験を通して自ら真理を悟ること、師から弟子へ心をもって奥義を伝承することの大切さを説いた言葉です。
【現在の使われ方】
自分と相手とがお互いの心を読み取ることができ、言葉なしでもコミュニケーションが取れる状態のとき、気心が知れた間でポジティブな意味で使われることが多いです。
類似の言葉として、「不立文字」(ふりゅうもじ)、「阿吽(あうん)の呼吸」、「馬が合う」などがあります。
(例文)
・私と兄は苦楽をともにしてきた以心伝心の仲だ。
・お二人は仲がよくて、まさに以心伝心ですね。

言語道断(ごんごどうだん)

【意味】
言葉で言い表せないほど酷い、とんでもないこと。もってのほか。
【解説】
もともとは仏教語です。
上記の「以心伝心」でも触れましたが、仏教の真理や悟りの境地は言葉で言い表すことはできない。
言葉によって伝える道は断たれているという意味です。
【現在の使われ方】
現在では、犯罪やマナー違反などの悪い意味として使われることが多い言葉です。
類似の言葉として、言語道過(ごんごどうか)、「論外」などがあります。
(例文)
・人の物を盗むとは言語道断な奴だ。
・飲酒運転やスマホを見ながらの運転は言語道断だ。

一蓮托生(いちれんたくしょう)

【意味】
最後まで行動や運命を共にすること。
【解説】
一蓮托生の「一蓮」は一つの蓮華を指し、「托生」は身を寄せて生きる、という意味があります。
一蓮托生は日本仏教の浄土信仰に由来する四字熟語です。
「死んで仏になった後も、極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれ変わろう」という浄土での再会を願う来世思想が根本にあります。
蓮華とは仏が座る高台のことですが、人は死後に仏になるという日本独自の思想に基づいて生まれました。
【現在の使われ方】
本来は、夫婦や友人の仲むつまじい様子、極楽浄土でも一緒に過ごしましょう、という願いを込めた素敵な意味合いがあります。
しかし現在では、「道連れ」「共犯」といった悪い意味として使われることが多いように思われます。
例えば、「俺たちは一緒に悪事を行ったから共犯だ、一蓮托生だ」とテレビドラマや漫画などで使われています。
類似の言葉として、「運命共同体」「一心同体」などがあります。
(例文)
・浄土でも一蓮托生、一緒に暮らしましょう。
・夫婦とは死ぬも生きるも一蓮托生だ。

諸行無常(しょぎょうむじょう)

【意味】
この世に存在する全ての物事は同じ状態を保つことなく移り変わり、永久不変なものなどないということ。
【解説】
諸行無常といえば、平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」が、有名です。
平家物語では、栄華をきわめた平家が滅びゆく様子から永久不変なものなどないという無常観を表しています。

「諸行無常」は、お釈迦さまが広めた仏教の教えの根本にある「仏教の三法印(さんぼういん)」の1つです。
・「諸行無常」
・「諸法無我(しょほうむが)」
物事の全ては「因縁」によって生じる。変わらないものは存在しないという意味
・「涅槃情弱(ねはんじょうじゃく)」
煩悩を消し、悟ることこそ、なにごとにも動じない安らぎを得るという教え
類似の言葉として、「万物流転(ばんぶつるてん)」「無常迅速(むじょうじんそく)」などがあります。
(例文)
・人生は諸行無常だから、今のこの瞬間を精一杯生きたいものです。
・アイドルのメンバーが変わるたびに諸行無常を感じるよ。

四苦八苦(しくはっく)

【意味】
非常に苦しむこと。
【解説】
仏教において、人生の苦しみを四つに大別したものを「四苦」、それに四つ加えたものを「八苦」と教えられています。

四苦とは、

  • 生苦(しょうく):生きる苦しみ
  • 老苦(ろうく):老いの苦しみ
  • 病苦(びょうく):病いの苦しみ
  • 死苦(しく):死の苦しみ

八苦とは、

  • 愛別離苦(あいべつりく):愛する人と別れる苦しみ
  • 怨憎会苦(おんぞうえく):憎い者と会う苦しみ
  • 具不得苦(ぐふとくく):求めるものが得られぬ苦しみ
  • 五陰盛苦(ごおんじょうく):肉体あるがゆえの苦しみ

この世のすべての苦しみを表した言葉とされています。

類似の言葉として、「七難八苦(しちなんはっく)」「艱難辛苦(かんなんしんく)」などがあります。
現在では、本来の仏教語の意味合いに比べると、やや軽めのニュアンスで使用されることが多いようです。
(例文)
・レポートを作成するのに四苦八苦したよ。
・彼は資金調達に四苦八苦している。

自業自得(じごうじとく)

【意味】
自分がした行いの結果は自分に返ってくる。
【解説】
仏教において、自業自得とは、自分の行為が自分の運命を生み出すということです。
良い結果も悪い結果も、その人の行いが生み出したものだよと教えられます。
類似の言葉として、「因果応報(いんがおうほう」「身から出た錆(さび)」などがあります。
現在では、ほとんどが悪い意味、否定的な意味で使われています。
(例文)
・お酒をやめなかった彼が病気になったのは自業自得だ。
・勉強をさぼって成績が落ちたら親から自業自得だと叱られた。

他力本願(たりきほんがん)

【意味】
1.(本義)阿弥陀仏の本願によって救済されること。
2.(誤用が定着)他人の力をあてにすること。
【解説】
他力本願は浄土教、阿弥陀信仰で用いられる言葉の一つです。
「他力」とは、「阿弥陀如来の力」
「本願」とは、「人々が仏になろうとする願い」を指しています。
つまり、阿弥陀さまの本願力によって成仏すること、というのが他力本願の本来の意味なのです。
ここでは、人任せにする、他人の力に頼るという意味は含まれていないのです。

【現在の使われ方】
現在は本来の意味から離れてしまい、他人任せ、無責任という意味合いで使用されることが多いです。
(例文)
・プロ野球でチームの自力優勝消滅、あとは他力本願ですね。
・あの人はいつも努力せずに他力本願だ。

唯我独尊(ゆいがどくそん)

【意味】
1.(本義)人間はみな尊い
2.(誤用が定着)自分だけが優れているとうぬぼれること
【解説】
唯我独尊の由来はお釈迦さまの言葉だといわれています。
「天上天下(てんじょうてんげ) 唯我独尊 三界皆苦(さんがいかいく) 吾当安此(ごとうあんし)」
・この全宇宙の中で(天上天下)
・私達は皆たった一つの尊い存在だ(唯我独尊)
・この世界は苦しみにあふれている(三界皆苦)
・私は苦しみ悩む人々を幸せに導こう(吾当安此)
とお釈迦さまが生まれてすぐに7歩あるいて言ったという説があります。
つまり、唯我独尊とは、「私たち人間は、たった一つの究極の目的(幸福)があるのでみな尊いのだ」ということです。
【現在の使われ方】
現在は本来の意味から離れてしまい「俺が一番偉い」という意味で使われることが多くなりました。
悪い意味で使われることが多く、例えば喧嘩などで自分は強い存在だ、とアピールするために暴走族の特攻服で目にすることもあります。
残念ながら「自分は偉い」と自画自賛する人は、あまり偉い人ではないのが一般的ではないでしょうか。
(例文)
・彼は一匹狼でまるで唯我独尊だ。
・あいつは唯我独尊で自分勝手な奴だ。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

今回は仏教が由来となっている四字熟語についてまとめてみました。
この他にも仏教が由来となっている言葉は数多くあります。
無意識のうちに仏教の教えが私たちの生活や文化に深くかかわっています。
本来の意味とは異なって定着した言葉もありますが、教養として知っておくと便利だと思います。
ちょっとした文章を書くときに使える言葉もあると思うので活用してみてくださいね。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

仏教の宗派⑦日蓮宗

日蓮宗は鎌倉時代中期に日蓮によって開宗されました。

日蓮宗の開祖【日蓮】

日蓮

1222年、日蓮は安房国(現在の千葉県)で武士の子として生まれました。
「日本一の知恵者になろう」と考えていた日蓮。
12歳の時に近くの清澄寺(せいちょうじ)で天台宗を学び、16歳で出家しました。

安房国では良い師匠に巡り合うことができない、と考えた日蓮は、鎌倉に出て念仏や禅を学びました。
さらに比叡山でも10年間の修業を積みます。
この間に、京都・奈良の寺もまわって遊学修行し、各宗派を研究していきます。

長い年月をかけた修行の結果、日蓮は、
「仏の本当の教えは法華経(ほけきょう)の中にある」
「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)を唱えればすべての人々は救われる」
という考えに至りました。

清澄寺に戻った後、1253年日蓮宗を開宗します。
法華経の主旨は「すべての人が仏になれる」というものです。
そこには、女性や武士なども含まれるとされています。

「法華経を広めようとする行者は難にあう」と法華経に書かれている予言通り、日蓮は多くの法難にあいました。

日蓮は「法華経こそが正しく、念仏や禅を信じてはいけない」と人々に説き始めます。
当時はすでに、浄土宗や禅(臨済宗、曹洞宗)が広まっていたため、念仏や禅を信じる人たちは快く思いません。
こうして人々の反発を受けた日蓮は、鎌倉へ逃げました。

鎌倉に来た日蓮は、法華経の教えを説きました。
当時、自然災害や流行病が蔓延し、死傷者や飢饉で苦しむ人々が多くいた社会背景でした。
鎌倉幕府の前執権、北条時頼に「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」を提出しました。
この中で「天災や流行病などの災害が続くのは、念仏などを信じているからである。法華経を信じなければ、争いや外からの侵略で国が滅びる」と幕府へ意見しました。
日蓮は、浄土宗や真言宗、禅宗など他宗派を強烈に批判しました。
日蓮が他の仏教宗派を批判した言葉として「四箇格言」(しかかくげん)があります。

  • 真言亡国(しんごんぼうこく):真言宗を批判
  • 禅天魔(ぜんてんま):禅宗(臨済宗、曹洞宗)を批判
  • 念仏無間(ねんぶつむけん):浄土宗を批判
  • 律国賊(りつこくぞく):律宗を批判

幕府から危険視された日蓮は流罪に処されることになります。

日蓮の法難

「法華経を広めようとする行者は難にあう」と法華経に書かれている予言通り、日蓮は多くの法難にあいました。
後に、日蓮の四大法難とよばれるようになりました。

1.松葉ヶ谷法難

1260年、日蓮39歳。
「立正安国論」を執筆した日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷を拠点に布教活動を行っていました。
この「立正安国論」は、当時起こっていた地震、異常気象、疫病、飢餓は、浄土宗や禅宗などの邪教に起因するものとして、幕府へ正法を法華経とする宗教政策の転換を促す内容でした。
そのため、浄土教信者たちによって松葉ヶ谷草庵を夜間襲撃・焼き討ちされました。

2.伊豆法難

1261年、日蓮40歳。
松葉ヶ谷の法難の後、鎌倉に戻った日蓮ですが、浄土宗ほか他宗派の批判を続けました。
宗教批判を快く思わない鎌倉幕府は日蓮を伊豆へ流罪とします。
伊豆に到着前、伊東沖の「俎岩(まないたいわ)」という岩礁に置き去りにされました。
満潮になると海の中に没する小さな岩礁でした。
漁師の弥三郎に助けられ一命を救われることになります。

3.小松原法難

1264年、日蓮43歳。
伊豆流罪が許された後、日蓮は故郷の小湊へ行き、母の梅菊を見舞います。
その後、反感をもっていた東条景信の待ち伏せにあい、小松原にて襲撃をうけます。
この襲撃により弟子が討死し、日蓮も額を負傷し左手骨折の被害をうけました。

4.龍ノ口法難

1271年、日蓮50歳。
平頼綱により、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪の名目で鎌倉の松葉谷草庵にいた日蓮を捕縛し連行しました。
江の島片瀬の龍ノ口刑場で日蓮を土牢から引き出し斬首しようとしました。
いよいよ首を切ろうと役人が刀を構えたところ、江ノ島の方向より謎の光の玉がやってきたため刑は中止されました。
斬首の刑は中止となり、佐渡へ流罪されました。

久遠寺

「立正安国論」の中で予言された外国からの攻撃が、蒙古襲来という現実のものとなると、幕府は日蓮の流罪を解き鎌倉に呼び戻します。
しかし、幕府が「立正安国論」の真意を汲み取ろうとしていないことを悟ると、日蓮は鎌倉を離れ、山梨にある身延山へと身を移します。
身延山に建立された久遠寺が日蓮宗の総本山となっています。

ここで、国の将来を見据え、法華経を受け継ぎ、お題目「南無妙法蓮華経」を広める弟子の育成に力を注ぎました。
後に、この身延山で学んだ弟子や信徒らによって、日蓮の教えは全国へと広がることとなりました。

日蓮宗の教え

日蓮宗ではお釈迦様が説かれた教え、妙法蓮華経(法華経)を何よりも大切にしています。
日蓮は、法華経はお釈迦様の心そのものを表したもので、お題目である「南無妙法蓮華経」の7文字こそ功徳のすべてであると考えました。

当時、法華経以外の経典では、女性や武士をはじめとする一部の人々は成仏できないとされていました。
その状況下で、法華経の説く「差別なく万人を平等に成仏できる」という仏教思想の原点に今こそ戻るべきであるとした日蓮の教えは、当時の仏教界に新たな風を吹き込んだのです。

「法号」は、仏弟子としての名前です。
日蓮宗では戒名のことを正式には法号(ほうごう)と呼んでいます。

日蓮宗は江戸時代まで法華宗や日蓮法華宗とよばれていました。

日蓮宗のまとめ

開祖日蓮聖人
本尊大曼荼羅
本山久遠寺
(山梨)
唱える言葉南無妙法蓮華経
(なむみょうほうれんげきょう)
経典法華三部経
教えの特徴南無妙法蓮華経と唱えさえすればすべての人が救われる、との教え
備考他宗を全て排斥したため、その信者からの反感や幕府から弾圧を受けた。
創価学会、立正佼正会なども日蓮宗の門流。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

日蓮は「立正安国論」のなかで世の中の乱れは浄土宗(法然)が原因だ、と言い切ることで浄土宗信者や幕府から迫害を受け多くの法難に遭いました。
しかし、自らの不幸を嘆くものや、他宗への批判を行ったことへの反省などは一切しなかったそうです。
それどころか「法華経の信者は法難に遭うとされている。これがまさしく私が真の法華経の伝道者である証である」とポジティブな思想に持っていくのです。

実はこの「法難は必然」とでもいうべき信念が、生涯、日蓮を支えました。
日蓮にとっての法難は、単なる不運ではなく、むしろ自分の使命感を再確認させるものだったのです。
よく言えば「ブレない人」、悪く言えば「頑固で懲りない人」でしたが、これが今日に至るまで多くの人を惹き付けた魅力だといえるでしょう。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

達磨(だるま)さんと禅のことば(四字熟語)

だるまといえば、赤い色をしていて髭をはやした丸みのある人形です。
縁起物として、商売繁盛を祈願して商店内に飾ったり、選挙のときには必勝祈願として用意されることが多いです。

また、子どもたちの遊びの中で、

  • 「だるまさんが転んだ」:動きを止めながら近づく遊び
  • 「だーるまさん、にらめっこしましょ、アップップ」
  • 「だるま落とし」:だるまを落とさないようにする積み木遊び
だるま落とし

などで親しまれているほか、絵本のキャラクターにもなっています。

このように、大人から子供まで人気があり、日本文化に根付いているだるまですが、実在した達磨大師がモデルとなっています。

達磨大師(だるまだいし)

達磨大師

達磨大師は5世紀後半~6世紀前半に活躍した僧侶です。
南インドの天竺国において国王の第三王子として生まれました。
国王が亡くなった後に、出家して僧侶になります。
インド各地に仏教の教えを広めて歩きます。
6世紀初頭、海路で中国へ布教の旅に出かけ、中国における禅宗始祖として名を残すこととなります。

拳法の大本山として有名な嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)で達磨大師は修行しました。
面壁9年(岩壁に向かって9年間坐禅し、悟りを開いた)の修行をしました。
この9年間による修行のために手と足が萎えて腐ってしまった、という伝説があります。
そのため、現在のダルマさんには手足がない、との説があります。
達磨大師の人並みはずれた偉大さを伝える伝説ですが、実際には、着ていた法衣の下に手足が隠れて見えなかったため、そのまま省略されて現在のように手足のない姿になったのだともいわれています。

150歳で亡くなったといわれる達磨大師の「禅」の教えは弟子たちによって受け継がれていきます。

日本の鎌倉時代に、栄西が中国で禅を学び帰国後臨済宗を開宗します。
その後道元も中国へ渡り禅を学び曹洞宗を開宗します。
臨済宗、曹洞宗ともに鎌倉仏教に数えられ、禅宗として今日まで受け継がれています。

このように日本の仏教にも大きな影響を与えた達磨大師は禅のことばを残しました。
禅の四聖句というものがあります。
四聖句とは、達磨大師が唱えたとされるもので、禅の根本思想はこの四つの言葉に集約されています。

四聖句(しせいく)

不立文字(ふりゅうもんじ)

【意味】
悟りは文字や言葉で表現したり、人に伝えたりできるものではない。
経典の文字に頼らないで、師の心から弟子の心へと直接に悟りの内容を伝えてゆくという禅宗の教え。
悟りの境地は言葉や文字で伝えることができないので、座禅を組んで実感せよということ。
【類似】「教外別伝」、「以心伝心」(いしんでんしん)

教外別伝(きょうげべつでん)

【意味】
仏の悟りを伝えるのに、言葉や文字によらず、心から心へと直接伝えること。
【類似】「不立文字」、「以心伝心」(いしんでんしん)

直指人心(じきしにんしん)

【意味】
自分の奥底にある心を凝視して、本当の自分、すなわち仏心や仏性を直接端的にしっかり把握すること。

見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

【意味】
自分に本来備わっている仏になるべき性質を見極めて悟りの境地に達すること。

臨済宗について詳しくはこちら

曹洞宗について詳しくはこちら

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

達磨大師が残した「四聖句」ですが、別々の独立した教えではなく、4つのことばが繋がりあって禅のいうところの悟りの到達までの道標を示すものではないでしょうか。

  • (不立文字)体験にこそ本質があり、文字にすることはできないから、
  • (教外別伝)経典にとらわれずに師匠から弟子へ体験を通じて伝えていくべき。
  • (直指人心)人が本来持っている清らかな心を見つめることで、
  • (見性成仏)心の奥にある仏を見出すことができるだろう。

正直なところ、難しいことばが羅列されています。
例えば、自転車の乗り方を覚えるのに、本を読んだり、乗り方を言葉で教わるよりも、実際に自転車に乗って何度も転ぶ体験を積むことによってバランスを覚えて自転車に乗れるようになっていく経験はありませんか。
仏の悟りを自転車に例えるのは適切ではないかもしれませんが、実践することが大切だよ、と教えてくれているのかもしれません。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

仏教の宗派⑥曹洞宗

曹洞宗は道元(どうげん)によって日本に伝えられました。
さらに弟子の瑩山(けいざん)が曹洞宗を確立して日本各地に広めました。
鎌倉仏教の一つでもあり臨済宗とともに禅宗として現代まで受け継がれています。
曹洞宗は、寺院数が最も多く全国に約14,000の寺院があります。
今回は曹洞宗の歴史や教えについてまとめてみました。

曹洞宗の名前の由来は2説あります

曹洞宗の「洞」については、中国曹洞宗の祖とされた洞山良价の「洞」を指すと考えられています。

説が分かれるのは曹洞宗の「曹」についてです。
1つ目の説は、洞山良价の弟子である曹山本寂の「曹」をとって「曹洞宗」としたものです。
2つ目の説は、禅の大成者である曹渓慧能の「曹」をとって「曹洞宗」としたという解釈がされています。

曹洞宗の両祖【道元】【瑩山】

道元(どうげん)

道元

3歳のときに父を、8歳のときに母を亡くした道元は13歳で出家し比叡山で修業します。
栄西の弟子、明全(みょうぜん)のもとで臨済宗を学びました。
道元24歳のとき、明全とともに宋(現在の中国)にわたります。
宋で師となる如浄禅師に出会い、坐禅修行にはげみます。

1227年に帰国した道元は「普勧坐禅儀」(ふかんざぜんぎ)を著します。この中で正しい坐禅のあり方や作法を記し、坐禅を基盤とする教えを示しました。
この年が曹洞宗開宗の年とされています。

1233年、京都に興聖寺を建立し、「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)を執筆しました。
この正法眼蔵の中で、教えの中核となる「只管打坐」(しかんたざ)、「修証一等」(しゅしょういっとう)について説いています。
「只管打坐」:ただひたすらに坐禅することが最高の修行法である。
「修証一等」:修行と悟りは一体である。

1243年、道元は京都から越前(現在の福井県)に移ります。
名声が高まり、弟子が増えたことにより比叡山からの弾圧が強まったことと、「深山幽谷に住んで、仏祖の教えを守れ」という先師如浄禅師の言葉に従い都から距離を置くために越前に移ったとされています。

永平寺

翌1244年に大佛寺を建立。

1246年に大佛寺は永平寺と改称され、今日の総本山永平寺となっています。

道元は自分の教えを「正伝の仏法」(しょうでんのぶっぽう)と表現しました。
仏教はブッダの教えをそのまま受け継いだものだから、宗も派もなく仏教そのものに他ならない、という考え方であり、道元は自分の教えを「曹洞宗」や「禅宗」と名乗るべきではない、としていました。

瑩山(けいざん)

瑩山

道元が亡くなってから15年後の1268年、瑩山は越前で生まれました。
信心深い母に育てられた瑩山は出家を願い出ましたが父母の反対にあい、断食して決意を示したとされています。
8歳になった瑩山は父母の許しを得て、永平寺に入り修行につとめます。

18歳に瑩山は全国行脚に立ちました。
比叡山や紀伊(現在の和歌山県)などを訪れ、修学に努めました。

永平寺に戻ってしばらくの後、阿波(現在の徳島県)で城満寺の住職となり、さらに遠く肥後(現在の熊本県)にも訪れました。

1313年、能登(現在の石川県)の永光寺を開山。
永光寺を伝道の拠点として、下級武士や商人などに禅を伝え信徒を拡大しました。

總持寺(横浜)

1321年、能登總持寺を開山。
越前の永平寺と並び本寺とする曹洞宗が公称されるようになりました。

能登總持寺は明治31年に火災に焼失し、神奈川県横浜市鶴見に再建しました。

瑩山は門弟の育成、曹洞禅の民衆化、在家の教化などに努めました。
瑩山の門下には四哲とよばれる逸材が多数輩出し、曹洞宗立教開宗の基礎を固めました。
さらに当時としては珍しく積極的に女性を住職に登用しました。

日本曹洞宗の開祖である「道元」を高祖(こうそ)と尊称し、
全国行脚にて布教教化を行い曹洞宗の礎を築いた「瑩山」を「太祖」と尊称し、
両禅師を両祖として位置付けています。

曹洞宗の教え

曹洞宗は、お釈迦さまから受け継がれてきた「正伝の仏法」を依りどころとする宗派です。
それは坐禅の教えを依りどころにしており、坐禅の実践によって得る身と心の安らぎが、そのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。
坐禅をすることによって仏の姿に近づけるというのが曹洞宗の考え方であり、修行でも座禅は重要な意味を持っています。

そして坐禅の精神による行住坐臥(ぎょうじゅうざが)。
(「行」とは歩くこと「住」とはとどまること「坐」とは坐ること「臥」とは寝ること)
つまり、普段の生活に安住し、お互いに安らかで穏やかな日々を送ることに、人間として生まれてきたこの世に価値を見いだしていこうというのです。

人間は本来仏の心を与えられており、正しい生活をすることによって仏の心が現れてくる、と曹洞宗では考えます。
苦しみの元になる自分勝手な考え方を改め、自分以外の人や物の命を大切にすることで「仏心」に近づくことができる、というのが曹洞宗の信仰です。
したがって、他人への思いやりや感謝の心を大切にして精進することが、曹洞宗では1つの修行と考えられています。

曹洞宗と臨済宗との違い

「臨済将軍曹洞土民」という言葉があります。
臨済宗は鎌倉幕府・室町幕府などの中央武家政権に支持され、政治や文化などで重用されました。
対して曹洞宗は地方豪族や商人、農民など一般大衆に支持されました。

曹洞宗、臨済宗ともに禅宗ではありますが、禅の修行内容に違いがあります。

臨済宗の坐禅は、人と向かい合って行います。
「看話禅」(かんなぜん)、師から与えられた公案について考えながら坐禅を行います。

面壁坐禅

曹洞宗の坐禅は、「面壁坐禅」(めんぺきざぜん)、壁に向かって坐禅を行います。
「黙照禅」(もくしょうぜん)、黙ってひたすら坐禅します。

曹洞宗のまとめ

宗祖道元(高祖)
瑩山(太祖)
本尊釈迦牟尼仏
本山永平寺(福井)
總持寺(神奈川)
唱える言葉南無釈迦牟尼仏
(なむしゃかむにぶつ)
経典特になし
教えの特徴「只管打坐」
ただひたすらに坐禅する
備考道元は修行の面、
瑩山は布教の面を確立しました

達磨大師と禅語について詳しくはこちら

日蓮宗について詳しくはこちら

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

曹洞宗の宗風として以下の5つがあげられます。

  1. 坐禅:心を落ち着けて反省すること
  2. 礼儀:礼儀・挨拶を大切にして規律を守ること
  3. 質実:質素を尊び、派手な格好や無駄遣いを慎むこと
  4. 実行:言い訳やおしゃべりを少なくし、実行すること
  5. 孝順心:親孝行すること

いずれも家庭でのしつけなどに活かせる内容ではないでしょうか。
人や動植物の命を大切にしたり、他人を思いやる心を育むなど、現在の日本の道徳教育と合致している部分が多いと思います。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

仏教の宗派⑤臨済宗

臨済宗とは、中国禅宗五家のひとつです。
鎌倉時代に栄西(えいさい)によって日本に広められました。

臨済宗の開祖【栄西】

栄西

1141年、備中国(現在の岡山県)で生まれた栄西は、14歳のときに比叡山にて出家し天台宗を学びます。

1168年と1187年の2回、宋(現在の中国)に留学します。
当時、堕落していた日本仏教を立ちなおすために宋で繁栄していた禅宗・禅を用いることを決心して「臨済宗黄龍派」の禅を継ぐこととしました。

1191年に帰国した栄西は九州を中心に布教活動を行います。
この年が日本における臨済宗開宗の年とされています。
ところが、新興宗教として勢力拡大しているとされ、比叡山からの排斥を受け禅宗停止が宣旨が下されました。
迫害を受けた栄西は日本最初の禅道場として、博多に安国山聖福寺を建立しました。

1198年、「興禅護国論」を執筆し、禅は既存宗教を否定するものではなく仏法復興に重要であることを説き、既存勢力との調和をはかります。
その後、鎌倉にて初代将軍源頼朝の妻の北条政子にて庇護を受けます。
北条政子は栄西のために寿福寺を建立します。
北条政子の子、二代将軍源頼家は京都に建仁寺を建立します。
当初建仁寺は禅宗・天台宗・真言宗の三宗兼学の寺でした。
源頼家以降も、朝廷や幕府から厚遇された臨済宗は次第に発展していくことになります。

武士社会においては、坐禅が剣の修行のひとつとして広く支持されました。
鎌倉後期の五山制度(鎌倉五山・京都五山)のいずれもが臨済宗の寺院です。
臨済宗は鎌倉幕府、室町幕府に保護されたことで発展することができました。

栄西の著書のひとつに「喫茶養生記」があります。茶の種類や製法、効用などが説かれています。
茶祖として栄西は布教とともにお茶の普及にも努めたといわれています。
貴族などの上級階級だけでなく一般庶民までお茶を広めました。

「日常生活のすべてが禅である」という禅の心は日本に根付き、武道、茶道の他、水墨画や能、建築などの分野でも大きな影響を与えています。

臨済宗の教え

臨済宗では、坐禅によって悟りを得るという「自力」によってこそ浄土へつながるとされています。
ひたすら坐禅をし、誰でも備えている尊厳で純粋な人間性を悟ることで、人の尊さを実感できるという教えです。

臨済宗の坐禅は「看話禅」(かんなぜん)とよばれ、人と向かい合う対面形式です。
師匠が弟子に問題を提示して、弟子は坐禅してその答えを出すという臨済宗独特の修行法です。
公安禅ともよばれるこの修行法は、身体全体で精神統一して、理論を超えた禅の精神を究明していきます。

「一休さん」の逸話

一休さん

テレビアニメにもなった一休さん。
実は室町時代の臨済宗の僧侶、「一休宗純」がモデルとなっています。
可愛らしいイメージのある一休さんですが、一休宗純は、実は自由奔放でかなり破天荒な僧侶として有名です。

屏風の虎退治


「この屏風絵の虎、生きた虎のようにうまく描けているのだが、夜になると本当に飛び出して暴れるので退治してほしい」という三代将軍足利義満からの問題。

これに対し一休は、「すぐに縛るので縄を貸してください。私が捕まえますので誰かこの虎を屏風から出してください」と切り返し義満を感服させました。

このはし渡るべからず


「このはしわたるべからず」と店の前の橋に立て札をたてた商人からの問題。(この橋を渡るな、という意味)

これに対し一休は、「この端渡るべからず」と切り返して、橋の中央を堂々と渡りました。
さらに同じ問題に加えて、「真ん中も歩いては駄目」という難題に対しては、「橋にのらなければ良いのだろう」として敷物を敷いた上を歩いて渡った、という逸話も残っています。

がいこつを持って正月の京都を歩く


新年を迎えると、町中の人々は「おめでとう」とお祝いします。
一休は杖の上に、がいこつを付けて「ご用心、ご用心」と京都の町を歩きます。
さらに「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という歌を詠んでいます。
新年を迎えたということはそれだけ死に近づいた、という意味でもあり「うかうかしていると、あっという間に人間はがいこつになってしまいますよ、ご用心」ということです。

一休がのこした歌

一休は僧侶としてだけでなく、歌人としてもうつけ振りを披露しています。

・白露の おのが姿は 其のままに もみじにおけるくれないの露
(白露はありのままの自分でいながら紅葉の上では紅の露になる)

・世の中は 起きて箱して(糞して) 寝て食って 後は死ぬを待つばかりなり
(飯を食っては糞をし、寝たり起きたりするばかりで大したことをせず一生を終えるのが人間なんだ)

・持戒は驢(ろば)となり 破戒は人となる
(頑固に戒律を守るのは何も考えず使役されるロバと同じ、戒律を破って初めて人間になる)

・生まれては死ぬるなりけり おしなべて釈迦もだるまも猫も杓子も
(世の中のものは全て生まれて死んでゆく、釈迦も達磨も何もかも)

・釈迦といふ いたづらものが 世にいでて おほくの人をまよはすかな
(釈迦という悪戯者が世に生まれて皆を迷わしたよ)

・秋風一夜百千年
(あなたとともにいるこの秋風の一夜は百年千年の価値があるよ)

臨済宗のまとめ

開祖栄西
本尊釈迦牟尼仏
本山妙心寺(京都)ほか
唱える言葉南無釈迦牟尼仏
(なむしゃかにぶつ)
経典特定の経典はありません
教えの特徴「公案禅」仏である真実の自己をつかみとるための妥協のない厳しい修行法
備考比叡山で学び、天台僧として2度宋(中国)へ渡り、そこで臨済禅に出会い、悟りを得る

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達磨大師と禅語について詳しくはこちら

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

京都や鎌倉には臨済宗の寺院が数多くあります。
例えば金閣寺や銀閣寺など修学旅行や遠足などで見学した方も多いかと思いますが、いずれも臨済宗の寺院です。
また、京都の龍安寺は枯山水(かれさんすい)の庭園として有名です。
臨済宗は禅をもって仏教を立て直し、茶道などの文化を世に広めました。
さらに「わび」「さび」といった日本特有の文化も禅からきているとされています。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。