仏教の宗派③浄土宗

浄土宗は、天台宗・真言宗が開宗された時期から200年以上経った1175年に法然上人によって開かれました。
鎌倉仏教の1つでもある浄土宗についてまとめてみました。

浄土宗の宗祖【法然】

法然上人

1133年、法然は美作国(現在の岡山県)で誕生します。幼名は勢至丸(せいしまる)。

1141年(9歳)、父が夜討ちにあって殺害されました。
父の「仇討ちをするな」との遺言を守り、母方の叔父にあたる観覚(かんがく)のもとで仏教の手ほどきを受けました。

1145年(13歳)、勢至丸の才に気付いた観覚の勧めもあり当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に登り、源光に師事しました。

1147年(15歳)、源光は「これ以上教えることは何もない」として皇円に師事することになります。

1150年(18歳)、出離(迷いを離れて解脱の境地に達するという意味)の志を果たそうとして、皇円のもとを辞し叡空(えいくう)を師として修行することになりました。
「年少であるにもかかわらず出離の志をおこすとはまさに法然道理の聖である」と叡空は絶賛し、法然房という房号を与えました。
さらに源空と叡空の一字ずつとって源空という諱(いみな:名前)を授けられました。
したがって法然の僧としての正式名は法然房源空となります。

1156年(24歳)比叡山をくだって奈良に遊学し、法相宗・三論宗・華厳宗の学僧らと談義するなど求道の道を続けました。

1175年(43歳)唐の善導大師の著作「観経疏」(かんぎょうしょ)を何度も読み返す内に、専修念仏(せんじゅねんぶつ)「ただ阿弥陀仏のみ名をとなえさえすれば、本願の御心によって必ず往生ができる」として念仏の教えを広めることとしました。この1175年が浄土宗の立教開宗の年とされています。

浄土宗の教えの特長~専修念仏

はじめて民衆の間で広まった宗教が浄土宗です。ただひたすらに念仏「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)を口に出して唱えることで、必ず仏の救済を受けて平和な暮らしを送ることができ、浄土に生まれることができる、という教えでまたたくの間に民衆に受け入れられました。

浄土宗と浄土真宗の違い

浄土真宗は法然の弟子である親鸞によって開かれた宗派です。
「南無阿弥陀仏」と唱えて極楽浄土への往生を祈るという基本的な考えは同じです。
また、本尊は阿弥陀如来で浄土宗、浄土真宗ともに一緒です。

違い~その1:掛け軸

中央
浄土宗法然上人阿弥陀如来善導大師
浄土真宗親鸞聖人阿弥陀如来蓮如上人

違い~その2:規律の厳しさ

浄土宗は昔ながらの規律の厳しい宗派で、僧侶は坊主で結婚しない、肉や魚を食べないという生活をおくるのが一般的でした。
浄土真宗では普通の髪形をし結婚することもできます。
これは親鸞が「すべての人々が差別なく本当の仏教というものを伝えたかったため」であるとされています。

違い~その3:葬儀など

浄土真宗では、亡くなった瞬間に仏になるとされています。
したがって不祝儀袋は「御霊前」ではなく「御仏前」が正式です。
さらに浄土真宗においては「安らかに」や「ご冥福を祈る」という言葉を使わないのがマナーとなっています。

浄土宗のまとめ

開祖法然上人
本尊阿弥陀如来
本山知恩院(京都)
唱える言葉南無阿弥陀仏
経典浄土三部経
教えの特徴「専修念仏」ただひたすらに南無阿弥陀仏と唱えればよい
備考比叡山に学び、修行と才能を讃えられたにもかかわらず求める教えにめぐりあえず求道を重ね、ついに阿弥陀信仰の教えに立つ

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

浄土宗開宗直後は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけ、という分かり易い教えなので、民衆にあっという間に広がった反面、新しい宗教だったため迫害を受けることも少なくなく法然は流罪に処せられたこともありました。
このような苦しいときであっても、法然はこの教えだけは絶対やめません、という信念をもっていました。
この思いが多くの優秀な弟子たちに受け継がれ、今日まで浄土宗の発展に繋がってきたのだと思います。

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仏教の宗派②真言宗

平安時代に、天台宗と真言宗は開宗されました。
この2つの宗派は平安2宗とよばれ、今日まで受け継がれてきました。
今回は真言宗について詳しくみていきたいと思います。

真言宗の開祖【空海】

少年時代

空海(弘法大師)

空海は四国の讃岐国(現在の香川県)に生まれました。幼名は真魚(まお)。
幼いころから、地元讃岐国では神童とよばれていました。

15歳に長岡京に上京し儒学を学びます。

18歳で大学に入学し儒教・道教・仏教を学びます。
ところが、大学で学ぶ儒学などの学問は本当の幸せになれるものではない、と思い19歳に大学を退学します。

出家と入唐求法(にっとうぐほう)

大学を退学した後、一人山林での修行に入りました。

20歳で出家、22歳で東大寺にて東大寺で戒律を授戒、空海と名乗るようになりました。(年齢については諸説あり)

24歳で「三教指帰(さんごうしいき)」を著します。その中で、儒教・道教・仏教の3つの教えの中で仏教が最も優れていることを論じています。
また、仏教を学ぶために唐(中国)に渡る決意をし中国語の習得にも励みました。

遣唐使

31歳になった空海は、遣唐使として唐に渡ることになります。
当時、最澄はすでに高僧として名声があり短期留学で帰国する学生に対し、空海はまったくの無名で20年間留学する留学僧という立場でした。
このときの遣唐使の船は4隻ありました。空海は第1船、最澄は第2船に乗船。
第3船と第4船は遭難してしまい行方不明に。
最澄の第2船のみ無事に目的地の明州に到着。
空海の第1船は南に流され福州に漂着しました。
福州ははるか南に位置するため海賊の嫌疑がかけられ拘束されました。
嘆願書を提出したところ、すぐれた文章と美しい文字をみて感動した役人が海賊のはずがない、として長安(唐の都)入りを許されることになります。

最澄は約半年で帰国。
空海は約2年かけて長安の青竜時の恵果(けいか)より、密教の奥義のすべてを伝授されました。
師匠である恵果が60歳で亡くなり、これ以上唐に滞在する必要を感じなくなった空海は帰国しました。
ところが、本来20年留学の予定のところ2年で帰国したため、すぐに帰京を許されず大宰府観世音寺に滞在することになりました。

最澄との交流

後に空海は京に入りますが、この入京には最澄の尽力や支援があったとされています。
わずか半年間の留学でいろいろな分野を学んだ最澄ですが、密教についてはあまり時間をとることができず完璧な理解とはいきませんでした。
一方、2年かけて密教を専門に学び奥義を授かった空海は密教を完璧にマスターしています。
そこで、最澄は年下のライバルである空海に身を低くして弟子として教えを乞うことになり、約10年ほど交流関係があったとされています。
しかし、最澄が派遣した弟子(泰範たいはん)が戻らなかったり、経典の貸し借りに関する意見の相違などのトラブルにより2人決別しました。

空海の晩年

金剛峯寺

42歳に四国八十八ヵ所を開きます。現在でも霊場巡りとして信仰が残っています。

43歳になった空海は、高野山を密教の根本道場として金剛峯寺の建立を始めました。

823年、50歳のときに嵯峨天皇から京都の東寺を与えられました。
この東寺を真言宗の道場とし、他の宗派の僧侶は居住してはならないことに定めました。1つの寺院を1つの宗派に限定したのはこれが初めてのことでした。
天台宗の密教を「台密」、真言宗の密教を「東密」とよばれるようになります。

62歳に空海は亡くなりますが、「私が死んでも、悲しまずに帰って仏法を信じなさい」という遺言を弟子たちの遺します。
「弘法大師」という大師号は空海が亡くなった86年後に醍醐天皇によって与えられました。
尚、真言宗の中では空海は死んでおらず、現在もなお高野山奥の院の霊廟にて禅定を続けているとされ毎日食事と衣服を給仕しています。
空海が遺した著書の一つに「秘密曼荼羅十住信論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん」があります。
この中で空海は、第一住信(無知な状態)から天台宗、華厳宗などの学びを得て、最後の十住信(真言宗)に到達すると教えています。
つまり、仏教思想の頂点に真言宗は存在すると説いています。

天台宗開祖最澄の死後、有能な弟子たちにより天台宗は発展することができました。
しかし空海はあまりにも偉大で完璧であったため後継者に恵まれず、その教義も空海以上に深められることはありませんでした。

空海の教え

大日如来

空海が説いた密教を真言宗、または真言密教といいます。
その教えとは、大日如来の説かれた教えを理解することです。
真言とは真実の言葉を意味し、ふつうの人たちには理解できない仏の世界の言葉のことです。
この大日如来の教えを理解するためには、心身ともに大日如来と一体になる修行が必要です。
つまり修行をすれば、生きているまま仏であることを体験できるという教えで、このことを「即身成仏(そくしんじょうぶつ」といいます。
また、空海が最も強く説いた教えに「三密加持(さんみつかじ)」があります。
三密とは、「身密」「口密」「意密」を指します。つまり、身体と言葉と意思の3つの働きが仏の境地になれるよう修行することこそが即身成仏の方法であると説きました。

真言宗と天台宗の教えの違い

1.密教に対する考え方

密教とは、大日如来により真実の言葉で限られた者しか理解できない教え(奥が深い教え)
顕教とは、大日如来による民衆が分かり易いようにした平易な教え(表面的で浅い教え)
【違い】
真言宗は、顕教と密教に至る途中の段階(密教が優位)
天台宗は、顕教と密教とは同じ位置づけ

2.教義

【違い】
真言宗は、即身成仏の行を最も重視
天台宗は、法華経を最も重視

3.奈良仏教との関係

【違い】
真言宗は、融和的
天台宗は、対立(天台宗は誰もが悟りを得ることができる一乗説を採用)

真言宗の分派

空海の没後、寺院は弟子から弟子へと引き継がれていきました。
金剛峯寺と東寺を兼任していた観賢(かんげん)が「東寺を本寺、金剛峯寺を末寺」とする本末制度を導入しました。本来であれば最初の修行の場である金剛峯寺が本寺となるかと思いきや末寺となってしまいました。この「本」と「末」が入れ替わることが「本末転倒」の語源となっています。

11世紀末、覚鑁(かくばん)が東寺の支配から金剛峯寺の独立を図りました。
覚鑁は金剛峯寺の座主となりましたが、本寺方からの反発を受け座主を辞します。
これにより「古くからの教義を重んじる金剛峯寺」と「覚鑁の流れを汲む大伝法院」の対立が続き、古義真言宗と新義真言宗に分かれることになります。
金剛峯寺は「高野山真言宗」の総本山となっています。
新義派の大伝法院が根来山に移り根来寺ができましたが、この根来寺は豊臣秀吉により焼き討ちの襲撃を受けます。
焼き討ちから逃げた僧侶が新義真言宗を長谷寺で広めたことから、長谷寺が「真言宗豊山派」の総本山となりました。
また、根来寺にあった智積院を京都に再建して、後に智積院は「真言宗智山派の総本山」となりました。

さらに「真言律宗」があります。この真言律宗は真言宗と奈良仏教の1つである律宗の考え方を合わせた宗派で鎌倉時代に叡尊が興しました。

現在の真言宗の宗派は16派あり、その総大本山が18あるため真言宗十八本山とよばれています。

古義真言宗系

  • 東寺真言宗総本山:教王護国寺
  • 高野山真言宗総本山:金剛峯寺
  • 真言宗普通寺派総本山:普通寺
  • 真言宗普通寺派大本山:随心院
  • 真言宗醍醐派総本山:醍醐寺
  • 真言宗御室派総本山:仁和寺
  • 真言宗大覚寺派総本山:大覚寺
  • 真言宗泉湧寺派総本山:泉湧寺
  • 真言宗山階派大本山:勤修寺
  • 信貴山真言宗総本山:朝護孫子寺
  • 真言宗中山寺派大本山:中山寺
  • 真言三宝宗大本山:清澄寺
  • 真言宗須磨寺派大本山:須磨寺

新義真言宗系

  • 真言宗智山派総本山:智積院
  • 真言宗豊山派総本山:長谷寺
  • 新義真言宗総本山:根来寺

真言律宗

  • 真言律宗総本山:西大寺
  • 真言律宗大本山:宝山寺

空海(弘法大師)に関することわざ

弘法大師は能書家でもありました。嵯峨天皇・橘逸勢とともに三筆の一人に数えられています。
現代では2つのことわざが残っています。

弘法筆を選ばず

【意味】文字を書くのが上手な人は、筆の良し悪しを問わない。道具のせいにしてはいけないという戒めの意味もあります。

川沿いにある寺の額を書くことになった空海ですが、川を渡ることができなかったため岩に額を立てかけてもらい、竹竿の先に結び付けた筆で対岸から書いた、という伝説があります。
実際は空海はしっかり良い筆を選んでいたそうです。著書「性霊集」の中で「よい大工は仕事の前に道具を研ぐし能書家は必ず良い筆を選ぶ」と記しています。

弘法も筆の誤り

【意味】どんな達人であっても、誰にでも間違いはあるもの。

嵯峨天皇の命で平安京の応天門に額を書くことになった空海ですが、「応」の1画目の点を書き忘れたことから由来しています。
空海は門に掲げられた額を下すことなく、下から筆を投げて見事に点を打ったという逸話が残っています。

真言宗のまとめ

開祖空海(弘法大師)
本尊大日如来
本山金剛峯寺(和歌山 高野山)ほか
唱える言葉南無大師遍照金剛
経典大日経
金剛頂経
教えの特徴全宇宙そのものである大日如来が直接に説く密教を最も優れたものとする
備考「遍照金剛」は空海に授けられた大日如来の密号

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

今回は、平安二宗の一つである真言宗についてまとめてみました。
現在、真言宗は16派に分かれていますが、本山は異なっているものの同じ真言宗ですので教えなどに大きな違いはないとされています。
空海(弘法大師)は天才的な頭脳の持ち主で中国やインドの言葉にも通じていました。
密教をマスターして真言宗を開宗。高野山に金剛峯寺を開き京都の五重塔も造りました。
さらに能書家として活躍するほか、社会事業においても活躍しました。
土木技術を持っていた空海は、讃岐国の満濃池(まんのういけ)の改築を行いました。また、庶民向けの学校や給食、辞書なども日本ではじめて空海が作ったとされています。
空海が立ち上げた真言宗は、宇宙そのものであり万物すべてに存在するとされる大日如来が本尊として祀られています。
およそ1200年もの間、弟子たちによって今日まで受け継がれてきました。今後も果てることなく繋げていけたら良いと思います。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

仏教の宗派①天台宗について

平安時代では、ほぼ同じ時期に「天台宗」と「真言宗」の2つの宗派が誕生します。
この2つの宗派は「平安二宗」ともよばれますが、ここでは「天台宗」について詳しく見ていきたいと思います。

天台宗の開祖【最澄】

最澄(天台宗開祖)

最澄は12歳で出家して東大寺で奈良仏教を学びます。
東大寺で奈良仏教を修めた最澄でしたが、その教えに満足できず比叡山で厳しい修行に励みます。
西暦804年、38歳のときに遣唐使として唐(現在の中国)に渡ります。
真言宗開祖の空海も同じ時期に唐留学しています。
当時最澄は桓武天皇に法華経の講義などを行うエリート僧だったのに対し、空海は無名僧でした。
唐で円・戒・禅・密を学びました。

1年後日本に帰国し、この4つの教えを融合(四宗融合)した宗派、天台宗を開宗します。

1.円(法華円教ほっけえんきょう)

法華円教とは天台宗の学問のことで、特に一乗説が有名です。
一乗説とは、すべての人は成仏できるという考え方です。
三乗説の教えである奈良仏教と対立することになります。

2.戒(大乗菩薩戒だいじょうぼさつかい)

戒律のことです。
最澄は大乗戒でも出家できるとしたのに対し、具足戒が唯一の出家の道とする奈良仏教と対立します。

3.禅

禅を実践することです。
最澄は法華経を中心とした教宗の立場で一般の民衆に向けて教えを伝えたのに対し、奈良仏教は学問が中心の教えだったためここでも対立します。

4.密(密教)

密教とは、大日如来が究極の教えを示したもので神秘的な要素が多く非公開な部分が多いため分かりにくい教えとなっています。
対して顕教(けんぎょう)は、お釈迦様が聞く相手の能力にあわせて分かり易い言葉で顕(あらわ)に説いた教えです。

天台宗の総本山は比叡山延暦寺

比叡山延暦寺(天台宗総本山)

比叡山延暦寺は天台宗の総本山として栄えました。
円仁(日本天台宗の礎を固めた)、法然(浄土宗開祖)、親鸞(浄土真宗開祖)、道元(曹洞宗開祖)、日蓮(日蓮宗開祖)など多くの名僧が比叡山で修業しました。

延暦寺は歴史上3度の攻撃を受けています。

織田信長

1回目は、1435年室町幕府6代将軍足利義教(よしのり)
2回目は、1499年管領細川政元
3回目が一番有名です。1571年織田信長による焼き討ち
いずれも僧兵として武装強化したことに対して当時の権力者との対立がありました。
焼き討ちによる焼失後、豊臣秀吉、徳川家康、徳川家光らにより延暦寺は再建されました。
延暦寺は1953年に国宝に指定、1994年に「古都京都の文化財」の一環としてユネスコ世界遺産に登録されています。

天台宗の修行

天台宗の修行の特徴は「止観」です。
「止」とは、心を静めて静寂な状態に安定させることです。
「観」とは、静かで安定した心で対象を観察することです。
「止観」は「止」という禅定だけでなく「観」という智慧も重視することを特徴とする瞑想法です。
「止観」の具体的な実践方法が「四種三昧」で大変厳しい修行です。

1.常坐三昧

90日間、座禅に没頭します。
立ったり歩いたり横になれません。

2.常行三昧

90日間、阿弥陀仏の周りを歩きながら、阿弥陀仏を念じ名号を唱え続けます。
止まったり座ったり横になれません。

3.半行半坐三昧

歩いて行う行と、座って行う行の組み合わせです。

4.非行非坐三昧

上記3種類以外のすべての行を指します。

最澄は、この「四種三昧」を修行の中心としましたが、その後天台宗の修行の1つとして「千日回峰行」という荒行が出てきます。

千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)とは

深夜2時に出発して比叡山の山道約30㎞を平均6時間で巡拝します。
蓮華の蕾をかたどった笠、白装束、草鞋履きで行います。
常に短刀を携帯し、途中で行を続けられなくなったときは自害しなければなりません。
5年目の「堂入り」が最も過酷だといわれています。
9日間の断食・断水・断眠・断臥の4無行を行い、堂内で10万回真言を唱え続けます。
この千日回峰行は7年間にわたって行われます。
「日蓮宗大荒行」と「インドのヨーガ」とともに世界三大荒行とされています。
大変厳しい荒行で、平成29年に歴代51人目の達成者が誕生しました。戦後ではわずか14人しか達成していません。

天台宗のまとめ

開祖最澄(伝教大師)
本尊釈迦如来
本山延暦寺(京都 比叡山)
唱える言葉南無阿弥陀仏
経典法華経・阿弥陀経・大日経など
教えの特徴・すべての人々に成仏の可能性があると説く
・現世利益的
備考総合仏教的な性格から、のちに法然・親鸞・道元・日蓮たちの思想に影響を与える

天台宗は法華経こそお釈迦様の教えの究極を説いたものとしています。
釈迦如来が本尊ですが、全国にある末寺ではそれにこだわらず、阿弥陀如来や薬師如来、観音菩薩、不動明王、毘沙門天などさまざまな本尊が祀られているのが多く見受けられます。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

今回は、平安二宗の一つである天台宗についてまとめてみました。

天台宗の総本山の比叡山延暦寺は多くの高僧が集まり厳しい修行を行いました。
最澄の崇高な思考も時の流れにより室町時代には堕落した僧侶が増えました。女人禁制にも関わらず女性を連れ込んだり金貸しをしたりと「ワシに逆らうヤツは天罰が下るぞ」という生臭坊主が多くいたそうです。さらに殺生禁止の仏教徒のはずなのに延暦寺は僧兵を集め政治・軍事拠点となりました。そのため時の権力者に襲撃を受けること三度ありました。人間臭さが垣間見えて嫌いではありませんが…
その後延暦寺は再建し、天台宗は総合仏教として現在まで脈々と受け継がれています。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

日本仏教のはじまり~奈良仏教

日本仏教のはじまり

聖徳太子

ブッダ(=お釈迦様)によりインドで生まれた仏教は東南アジアや中国大陸、朝鮮半島を経由して、西暦538年に日本に伝わりました。

日本では、古来より神道の神々をあがめていましたが、大陸から伝来した仏教をどのように扱うかについて豪族による争いが起こります。蘇我氏(仏教受容派)と物部氏(仏教排斥派)の争いです。
587年、丁未の変(ていびのへん)で蘇我氏が勝利し、物部氏は滅びます。
その後、推古天皇や聖徳太子、蘇我馬子らにより仏教は皇族や有力豪族などの階層に広がっていきました。
推古天皇の摂政となった聖徳太子は四天王寺や法隆寺を建設しました。
さらに天皇中心の国づくりをするために十七条憲法を制定します。
第1条「和するをもって貴しとなし」
第2条「篤く三宝を敬え」
三宝とは仏教を指します。日本人は仏教を学び、教えの通りに実践しなさい、としました。
仏教文化である飛鳥文化が繁栄していきます。

奈良仏教≪南都六宗(なんとろくしゅう)≫

奈良時代になると、飢饉や疫病などから国を守り国家安泰を願うという想いから、聖武天皇によって総本山東大寺と全国各地に国分寺を建立しました。東大寺の大仏が建立されたのもこの時代です。
奈良時代の仏教は、平城京が京都の南にあるため南都六宗ともよばれています。
南都六宗の特長としては、寺院の本尊が釈迦如来が中心であることと寺院が学問研究の場となっていることです。

1.法相宗(ほっそうしゅう)

玄奘(三蔵法師)

西遊記の三蔵法師として有名な玄奘(げんじょう)に日本の道昭(どうしょう)が唐で師事し、帰国して法興寺で教えを広めた宗派で、人間の心や意識について研究しました。

2.倶舎宗(くしゃしゅう)

智通・智達が入唐し日本に伝え、道昭らが東大寺で研究をすすめた宗派ですが、法相宗の付属の流派とされました。

3.三論宗(さんろんしゅう)

「般若経」の空(くう)を論じた「中論」「百論」「十二門論」の三論を専門に研究した宗派です。

4.成実宗(じょうじつしゅう)

成実論を専門に研究する学派ですが、三論宗の付属の流派と考えられていました。

5.華厳宗(けごんしゅう)

東大寺の大仏

華厳経の教えを中心に据えた宗派です。総本山は東大寺、奈良の大仏で有名です。

6.律宗(りっしゅう)

鑑真

戒律の研究と実践を行う宗派です。鑑真(がんじん)が開祖です。

奈良仏教(南都六宗)のいま

奈良時代、南都六宗として6つの宗派がありましたが、現存しているのは法相宗、華厳宗、律宗の3宗だけです。
いずれも学問寺としての性格が現代まで受け継がれています。
檀家をもたず葬式も行わないのが特徴です。
修学旅行の受入れや写経などの観光収入の確立に積極的な寺院が多いです。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

小学校の修学旅行で奈良や京都に行った記憶があります。
東大寺の大仏や正倉院などを見学した筈ですが正直あまり覚えていません。覚えているのは奈良公園の鹿せんべいくらいです。(笑)
大人になってから見学すると、歴史や当時の文化を理解できて改めて勉強になるかもしれませんね。
奈良時代に建てられた建造物や仏像は国宝となっているものが多いです。1200年以上経った今でも現存しているのはとても凄い事だと思いませんか。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

仏教と神道について

日本人は「無宗教」が多いといわれています。
イスラム教の断食(ラマダン)やキリスト教の日曜ミサ礼拝などが特徴的な宗教行事として有名ですが日本人には馴染みが薄いものです。
お正月は神社で初詣、夏のお盆にはお墓参り、年末にはクリスマス、というように私たち日本人は、仏教・神道・キリスト教などさまざま宗教を受け入れています。その他にもお宮参りや七五三は神社で、結婚式は教会で行う方が多いのではないでしょうか。

ここでは、私たち日本人に馴染み深い仏教と神道(しんとう)についてみていきたいと思います。

仏教

仏教とは「仏の教え」のこと。仏とは「ブッダ=お釈迦様」を指します。

北インドで生まれた仏教

ブッダの本名は「ゴータマ・シッダルータ」。紀元前5世紀頃、古代インドのルンビニーの園で4月8日に生まれました。
お釈迦様は「なぜ人は苦しみながら生きるのか」と思い悩み、29歳の時、出家し修行者となりました。
菩提樹の下に座り、ついに悟りを開いたのが35才、12月8日の事です。
お釈迦様はその後40年以上にわたり苦しむ人々を救いますが80才の2月15日に亡くなりました。
お釈迦様の死後、仏教はインドを中心に繁栄しアジア全域に広がっていきます。

現在では各寺院で記念行事が行われています。
4月8日:花まつり(お釈迦様の誕生日の記念行事)
12月8日:成道会(お釈迦様が悟りを開いた日の記念行事)
2月15日:涅槃会(お釈迦様が生涯を終え涅槃に入られたことの記念行事)

日本の仏教の歴史

インドで生まれた仏教は東南アジア、朝鮮半島を経由して西暦538年に仏教は日本に伝わりますが、日本国内において仏教の受入れについて争いが起こります。(蘇我氏と物部氏の対立)
飛鳥時代、聖徳太子が法隆寺を建立し仏教を日本に定着させました。
奈良時代、聖武天皇が都に東大寺大仏を建立し、各地にもお寺を建立しました。
平安時代、最澄が天台宗、空海が真言宗を開宗します。
鎌倉時代になると、浄土宗(開祖:法然上人)、浄土真宗(開祖:親鸞聖人)、臨済宗(開祖:栄西禅師)、曹洞宗(開祖:道元禅師)、日蓮宗(開祖:日蓮聖人)などさまざまな宗派が生まれました。

宗派名称開祖本山本尊唱える言葉経典
天台宗最澄延暦寺釈迦如来など南無阿弥陀仏など法華経
阿弥陀経
大日経
真言宗空海金剛峯寺など大日如来南無大師遍照金剛大日経
金剛頂経
浄土宗法然上人知恩院阿弥陀仏南無阿弥陀仏浄土三部経
浄土真宗親鸞聖人西本願寺 ,東本願寺阿弥陀如来南無阿弥陀仏浄土三部経
臨済宗栄西禅師妙心寺釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏特定の経典はありません
曹洞宗道元禅師
宝山禅師
永平寺
總持寺
釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏特定の経典はありません
日蓮宗日蓮聖人久遠寺釈迦牟尼仏
※【南無妙法蓮華経】ヒゲ文字で書かれた軸
南無妙法蓮華経法華三部経

神道(日本独自の宗教)

神道は、仏教伝来よりもさらに前の古代から存在します。
古代日本においての信仰は、大自然のあらゆるところに神々が宿っているという多神教の宗教です(八百万の神(やおよろずのかみ))。
日本には四季があり、海・山・河など豊かな自然に恵まれています。自然に感謝するという習慣は神道によるものなのです。
その後8世紀に入ると「日本書記」「古事記」という歴史書が著されます。
「日本書記」において、太陽を神格化した「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が日本民族の最高神とされるようになりました。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

シリア内戦の宗教紛争や新興宗教による凶悪事件の影響から、「宗教」という概念に対してネガティブなイメージがあり、宗教と向き合うことを避けてきた面が少なからずあります。
しかし現在、日本国憲法のもと宗教の自由が保障されています。普段の生活の中では宗教を意識することは少ないかもしれませんが、初詣やクリスマスなどは文化として根付いています。また、七夕や花火大会、盆踊りなど仏教のお盆から派生した行事などに親しみながらいろいろな宗教に触れていけたら良いのではないでしょうか。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

法要と法事について

法要と法事の違い

法要

法要とは、僧侶に読経していただき、故人の冥福を祈ることを指します。
法要は「追善供養(ついぜんくよう」とも言われ、故人が極楽浄土に往生するために行う仏教の大切な儀式です。
浄土真宗では、亡くなってすぐに南無阿弥陀仏によって極楽浄土へと導かれると考えられています。そのため浄土真宗における法要は、故人を偲び、遺された人が仏の教えを聞く場という意味合いがあります。

法事

法事とは、法要だけでなく、法要後の会食なども含めた全過程を指します。

法要の種類

法要は故人を供養するという仏教用語の一つですが、神道では「霊祭」、キリスト教では「記念祭」「追悼ミサ」など同様の儀式があります。
仏教の主要な法要として、忌日法要(きにちほうよう)と年忌法要(ねんきほうよう)の2種類があります。

忌日法要

仏教では輪廻転生(りんねてんしょう)という考え方があり、死後7日おきに裁きを受け来世の行き先が決まるとされています。そのため故人の魂が49日間成仏せずにさまよっているとされています。

名称読み方命日からの日数守護仏
初七日しょなのか7日目不動明王(ふどうみょうおう)
二七日ふたなのか14日目釈迦如来(しゃかにょらい)
三七日みなのか21日目文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
四七日よなのか28日目普賢菩薩(ふげんぼさつ)
五七日いつなのか35日目地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
六七日むなのか42日目弥勒菩薩(みろくぼさつ)
七七日なななのか49日目薬師如来(やくしにょらい)
百か日ひゃっかにち100日目観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)

亡くなった日(命日)を1日目として数えます。

初七日

初七日は遠方の親族や知人に集まってもらうことが負担となるため、葬儀当日に行われることが多い法要です。これを「繰り込み初七日法要」といいます。
7日目に故人の魂は三途の川のほとりに到着するとされています。このときの裁きによって、激流か急流か緩流等どの川の流れを渡るかが決定するので、より苦労の少ない道のりになるように法要を行います。

七七日(四十九日)

四十九日法要と合わせて納骨法要を行うことも多いです。
49日目に来世の行き先が決まると考えられています。この来世とは、天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道(ろくどう)を指します。
四十九日の裁きが終わると、故人の魂はこの世に別れを告げ浄土へ旅立つため、遺族は忌明けとして通常の生活に戻ります。

百か日

泣くことをやめ、悲しみに区切りをつける日とすることから「卒哭忌(そつこくき)」とも言われます。

年忌法要

名称命日からの年数守護仏
一周忌満1年目勢至菩薩(せいしぼさつ)
三回忌満2年目阿弥陀如来(あみだにょらい)
七回忌満6年目阿閦如来(あしゅくにょらい)
十三回忌満12年目大日如来(だいにちにょらい)
十七回忌満16年目大日如来(だいにちにょらい)
二十三回忌満22年目大日如来(だいにちにょらい)
二十七回忌満26年目大日如来(だいにちにょらい)
三十三回忌満32年目虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)

三回忌以降の法要の時期は数え年で行うため注意が必要です。
命日にあわせて法要を行うのが理想ですが、平日に比べ土・日曜日のほうが参列しやすいとの理由で命日よりも前の休日に回忌法要を行うこともあります。
一般的には、三十三回忌または五十回忌をもって「弔い上げ」として法事を締めくくります。長い修行の締めくくりとして故人は菩薩の道に入り「ご先祖様=守り神」となります。
初七日~三十三回忌までの法要にそれぞれ守護仏がいらっしゃいます。故人は十三の仏様に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。

その他の法要

納骨法要

お墓や納骨堂にご遺骨を納骨する際に行う法要を納骨法要といいます。

開眼法要

新しくお墓を建立したときやご本尊、お仏壇、お位牌などを購入したときに行い、仏様の魂入れをする法要を開眼法要といいます。

閉眼法要

お墓や仏壇などを処分する時や買い替えの時に行い、仏様の魂抜きをする法要を閉眼法要といいます。

お盆法要、お彼岸法要

お盆に行われる法要をお盆法要といいます。
地域によって違いはありますが、7月または8月のお盆にはご先祖様の魂が家に帰ってくるとされています。
忌明け後初めてのお盆を「初盆」といいます。寺院本堂で行ったり、僧侶がご自宅で読経して供養を行うこともあります。

春分の日、秋分の日をお中日として前後3日間が彼岸にあたります。昼と夜の長さが同じになることから、この世とあの世が最も近くなると考えられています。
一般的には寺院の本堂で合同で行われることが多いですが、僧侶が個別にご自宅で供養を行うこともあります。

施餓鬼法要

施餓鬼法要とは、六道の一つである「餓鬼道」に落ちて苦しんでいる仏様を供養する法要です。
寺院本堂で合同で行います。寺院によって違いはありますが、7月や8月に行われることが多いです。

法事の準備と当日の流れ

法要を行う日時を決める

まず、家族・親族で相談して法要を行う日時を決めます。
お寺の都合も確認しながら日時の調整を行います。

参列者へ連絡します

日時が決まったら、参列をお願いする方へ連絡します。電話連絡や案内状送付など方法はさまざまですが、2週間位前までには出欠の確認がとれるようにした方がよいでしょう。

返礼品や会食などを用意する

参列者の人数が確定したら、返礼品や会食の手配を行います。
一般的に返礼品は1家族に1個用意します。

法事当日

施主の挨拶

担当する僧侶や参列いただいた方へ挨拶します。

法要

僧侶の読経や参列者の焼香などを行い、法話を聞きます。

会食

法要終了後、お斎(おとき)やお清めとよばれる料理を食します。
故人を偲びながら食事するとともに、参列者への感謝の意味をこめたおもてなしの意味合いもあります。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

法事や法要ってよくわからない、との声をよく聞きます。
ここでは法要の種類や法事の流れについて紹介させていただきました。
あくまでも一般的なものですので、宗派や地域によって違いがあります。法事に関しては事前の準備が大切です。わからない点があれば寺院や年長者に確認することで、当日施主として滞りなく法事を執り行うことができ参列者も安心して法事に参加できます。弊社問合せ窓口へのご相談も承っておりますのでお気軽にご連絡ください。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

位牌について

位牌とは


位牌とは、亡くなられた方の霊を祀るために、戒名などを書いて仏壇などに安置する木製の牌を指します。
位牌は中国で官位や姓名を記して祀っていたことから始まりました。
日本においては、鎌倉時代の禅宗の寺院で用いられたのが始まりとされています。
江戸時代に入ると幕府の宗教政策により、家ごとに仏壇を祀るようになってから一般家庭でも用いられ、他の宗派にも広がり、先祖を大切にする日本人の文化として定着しました。

位牌に書かれる項目

基本的には以下の5つの項目が記入されます。

  • 戒名:故人が浄土にて仏の弟子となったことを表す名前
  • 梵字:宗派を表す印
  • 俗名:故人の本名
  • 命日:故人が亡くなった日付
  • 年齢:故人が亡くなった年齢

梵字は、宗派によっては省略されることもあります。
年齢については、「行年」「享年」「寿算」など記入されることが多いですが、寺院によって異なります。

白木の位牌と本位牌


位牌には、白木の位牌と本位牌の2種類があります。
葬儀のときに用いられる白木の位牌は仮の位牌ですので、四十九日法要(忌明け法要)までに本位牌を用意します。
仏具店などで相談すると良いでしょう。
四十九日法要時に、白木の位牌から本位牌への魂入れを行い、魂を抜いた白木の位牌はお寺に預かっていただきお焚き上げ供養を行います。魂の入った本位牌はご自宅の仏壇に安置します。
四十九日法要までに本位牌を用意できない場合は、納骨や百か日法要、一周忌法要などの区切りに合わせて作りましょう。
尚、原則として浄土真宗では位牌を用いません。過去帳や法名軸が位牌の代わりとなります。
(浄土真宗の家でも位牌が祀られているケースもあります。)

本位牌の大きさと種類

位牌の大きさは仏壇に合わせることが重要です。
初めて位牌を作る場合は、位牌が大きすぎて仏壇に入らないということがないように注意が必要です。
すでに位牌がある場合は、先祖の位牌と同じ大きさかやや小さい位牌を選ぶのが一般的です。
本位牌ひとつに故人ひとりが一般的ではありますが、いろいろ種類があります。
・夫婦位牌(めおといはい)
ひとつの位牌に夫婦ふたりの戒名を並べて入れます。
・回出位牌(くりだしいはい)
ひとつの位牌に戒名を入れる薄い板が10枚くらい入ります。
先祖の位牌が増えて仏壇内がいっぱいのときなどにおすすめです。
・先祖代々の霊位
先祖の位牌が増えたときに「○○家先祖代々の霊位」としてひとつの位牌にまとめることもできます。
また、身内にまだ不幸のない家庭でも、自分の先祖に感謝する意味で「○○家先祖代々の霊位」の位牌を作るケースもあります。

位牌の正しい祀りかた

宗派により若干の違いはありますが、基本的には1段目にご本尊さま。
2段目に位牌を。
3段目にお供物を。
一番下の段に香炉やおりん等を置くようにしましょう。

位牌のお手入れ方法

ほこりが付いている時は柔らかい布で優しく取りましょう。水拭きはおすすめしません。
金箔や金粉で書かれている部分は触れないようにし、持つときは柔らかい手袋をつけて優しく持ちます。
傷みや汚れが付いたり、文字が読みづらくなった古い位牌は新たに作り替えることもできます。
新しい位牌を作ったときにも魂入れのお経をあげていただきましょう。

古い位牌の処分

古い位牌を放置したり廃棄したりすることは、ご先祖さまの魂を捨てることになり罰当たりなことといえるでしょう。
位牌を供養する方法としては、「閉眼供養」と「お焚きあげ」が一般的です。
閉眼供養することで位牌から魂が抜けて、位牌はただの物になります。
その後、寺院などで焼却処分をしてもらいます。
もう一つの方法としては、位牌を寺院に預かってもらって位牌を永代供養してもらう、という選択肢もあります。
菩提寺や近くの寺院に相談してみると良いでしょう。

神道の場合

神道には、仏教の位牌に当たる「霊璽(れいじ)」があります。仏教では四十九日に位牌の開眼供養を行いますが、神道の場合には通夜祭の前に遷霊祭を行い、故人の魂を霊璽に移します。

無宗教の場合

無宗教であっても仏具店さんやネット通販などで位牌を購入することは可能です。
戒名ではなく俗名を位牌に文字入れします。
手を合わせる対象として、無宗教の方でも位牌を用意して供養することができます。

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

お位牌についてどうしたら良いのかしら、というご相談が多いので記事に取り上げてみました。
震災などの災害時に位牌を大事そうに持ち出す姿をTVなどで見ることもあります。その状況が強く印象に残っていて、位牌がとても大事にされていると感銘を受けました。
現在、お位牌のデザインも多様化しています。仏具店に立ち寄るのも1つの方法ではないでしょうか。
位牌は、ご先祖や故人の魂が宿る大切なものです。魂を敬う気持ちを忘れずに自身の状況に見合った選択をしていきましょう。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

お墓参り③ 手順

ここでは、お墓参りの手順や仕方について説明したいと思います。
地域や宗派によって多少違いはありますが、一般的な流れをご紹介します。

一般的なお墓参りの手順

  1. 挨拶をする
  2. お墓周りの清掃
  3. お花やお供物をお供えする
  4. お線香をあげて合掌する
  5. 片付けをする

1.挨拶をする

寺院墓地の場合には、本堂のご本尊様をお参りしてご住職に挨拶をしましょう。

2.お墓参りの清掃

手を洗い清めた後、水桶に水をくみ、お墓に向かいます。
お墓についたら合掌礼拝して故人に挨拶しましょう。
墓石周辺の草むしりやゴミを拾います。
花立てや線香皿などを洗います。
墓石の汚れもたわしやスポンジを使用してきれいにしましょう。

3.お花やお供物をお供えする

掃除が終わったらお供えです。
きれいに洗った花立てに清潔な水を入れて、仏花や故人の好きだったお花をお供えします。
用意したお供物は半紙を敷いてその上にお供えします。

4.お線香をあげて合掌する

合掌の前に、水桶の水を墓石の上からかけてください。
「水をかけると墓石が傷む」とか「ご先祖さまの上から水をかけるのはバチあたり」だと考えている方もいらっしゃいます。
しかし、墓石は雨風に晒されていますし、水にはお清めの意味合いもありますので、喉の乾いたご先祖さまにお水をかけて良いと思います。
お線香をあげた後、手を合わせて近況等を報告しましょう。
線香に点火した後、火を消す時は息を吹きかけて消すのではなく、手で仰いで消しましょう。人間の口は悪い行いを生み出す原因で汚らわしいものと仏教では考えられているため不作法となります。
お参りの順番は故人との縁の深い人から行います。冥福を祈るとともに、ご先祖さまへの感謝の気持ちや報告したいことなどを心の中で語りかけます。手に数珠をかけ、目を閉じて頭を30度くらい傾けます。その際、墓石よりも姿勢が低くなることが礼儀ですのでしゃがんで行うのが好ましいです。

5.片付けをする

全員の合掌が終わったら、片付けをします。
お供え物はそのままにせず持ち帰ります。
出てしまったゴミなども持ち帰り、来た時よりもきれいな状態にして帰ることを心掛けましょう。

神道やキリスト教のお墓参り

仏教のお墓参りについて説明してきましたが、神道やキリスト教でも大きな違いはありません。(線香を使用しない点が異なりますが…)

神道のお墓参り

  1. お墓周りの清掃
  2. 「玉串」をお供えする
  3. 「神饌」をお供えする
  4. 礼拝する

まずはじめにお墓をきれいに掃除します。
その後、「玉串」とよばれる榊の枝に神垂を麻で張り付けたものをお供えします。この玉串がお線香にあたります。
「神饌」とは、神様にお供えする飲食物で、水、米、塩、お神酒などを指します。神道では故人は神様になると考えられているためです。
礼拝の作法は「二礼、二拍手、一礼」で行います。

キリスト教のお墓参り

  1. お墓参りの清掃
  2. 白いお花をお供えする
  3. 礼拝する

まずはじめにお墓をきれいに掃除します。
カーネーションや小菊などの小さい白い花をお供えします。
お花以外にお線香やお供物をお供えする習慣はありません。

お墓参りの時期について詳しくはこちら

お墓参りに用意する物について詳しくはこちら

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

お墓参りに行くときは、子どもたちも連れていきましょう。小さな子どもにはお墓参りの意味がわからないかもしれませんが、祖先を敬い感謝する気持ちが子ども心に育まれることでしょう。子どもは親の背中を見て育つ、ともいいます。お墓参りは教育の場としても最適ではないでしょうか。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。

お墓参り② 用意する物

お墓や周りをきれいに掃除するためのもの

  • ほうき:お墓の周辺を掃き清めます。
  • ぞうきん:墓石を拭き清めます。
  • 軍手:周辺に雑草をとります。
  • ゴミ袋:ゴミや雑草などを持ち帰ります。
  • たわし:墓石についたコケなどを落とします。
  • バケツ:ぞうきんやタワシなどを洗います。

金属性たわしは墓石を傷つけてしまうため使用しないほうがよいです。
場合によっては歯ブラシやスポンジ、柔らかい布が適していることもあります。

お参りや供養に必要なもの

  • 手桶・柄杓:墓石に水をかけ、洗い清めます。
  • 数珠:合掌のときに使用します。
  • お線香:墓前に供えます。
  • ライター:お線香の点火に使います。
  • お供え物:故人の好きだった食べ物や飲み物。置くための半紙。
  • お花:日持ちのよい菊など。花バサミを持参すると良いです。

手桶や柄杓などは墓地や霊園で借りられることが多いです。
お供え用の花は、スーパーや花屋さんで売られています。故人が好きだった花でもかまいませんが、匂いや花粉が少なく、トゲがないものを選びましょう。

お供え物の基本

仏教において、「五供(ごく)」がお墓参りの基本となるお供え物です。
五供とは、「香」「花」「灯燭(とうしょく)」「浄水」「飲食(おんじき)」の5つを指します。

香は邪気をはらい、心と身体が清められる徳をもつ、といわれています。
お線香はそのまま燃やしきります。

清らかで美しい花を供えます。自然の花は美しく、心を穏やかにして心の邪悪を取り除き清めてくれます。
また、仏の慈悲を表しているともいわれ、仏心を培い、仏果を向上させる意味が花にはあります。

灯燭

灯燭とはロウソクのことです。煩悩を消し、明るく照らす光の象徴です。
首都圏では少ないですが、墓前に線香とともにロウソクを立てる地域は多いです。
灯燭は、故人の道を照らしたり、慈悲を表したりする役割があります。

浄水

浄水は清めるための水です。清らかな水をお供えすることで、心が洗われることを意味しています。
墓石の水鉢(中央にあるくぼみ部分)に新鮮な水を張りましょう。

飲食

私たちが普段食べているものと同じものをお供えします。
お菓子や果物、ジュース、お酒などを用意すると良いでしょう。
お墓参りのときは直に置かず、下に半紙など敷いた上に置くのが一般的です。

お供え物として適しているもの

故人が好きだった食べ物や飲み物

生前故人が好んでいたものを選ぶことで、より心のこもった供養になるでしょう。
例えば、お酒やタバコが好きだったのであれば、お供えすることで故人も喜ぶのではないでしょうか。
故人が好きだったから、といってお酒を墓石にかけてはいけません。墓石が劣化したり、シミになってしまうことがあるので避けましょう。

旬の食べ物


例えば、春のイチゴ、夏のスイカ、秋の梨、冬のミカンなど季節にあわせた旬の果物なども良いでしょう。
お彼岸には、ぼたもち(春)やおはぎ(秋)をお供えすることも多いです。
丸いものは「円い」であることから、故人との「縁」につながる意味合いがあり、丸い食べ物や果物を選ぶこともおすすめです。

お供え物として向いていないもの

肉や魚


殺生のイメージがあるため、お供え物に適していない、とされています。
肉や魚は傷みやすく日持ちがしない、腐食すると悪臭がするため墓参時のお供え物としては避けたほうが良いでしょう。

五辛(ごしん)

五辛とは、にら、にんにく、ねぎ、らっきょう、はじかみ(しょうが、さんしょう)を指します。
匂いや辛みが強い野菜はお供え物にふさわしくない、とされています。

お供え物は持ち帰ります

カラスなどに荒らされないようにお参りが終わったら、お供え物は持ち帰ります。
また、お供えした物を墓前で食べたり、持ち帰って自宅で食べても大丈夫です。供養の気持ちをもっていただきましょう。

お墓参りの時期について詳しくはこちら

お墓参りの手順や仕方について詳しくはこちら

~筆者のひとりごと~

自己紹介:40代男性、妻と長女の3人暮らし。涙もろくロマンチスト。

お墓参りは、先祖の冥福を祈る、ということだけではありません。
亡くなった人の冥福を祈る、という慈しみの心。
家族を思いやる、という友愛の心。
見守ってくれてありがとう、という感謝の心。
このような心が育っていくと思います。心をこめてお墓参りすることは、先祖への感謝のみならず自分自身を大切にしていることにつながるのではないでしょうか。
思い立ったら吉日、あなたもお墓参りに足を運んでみてはいかがでしょうか。

最後まで記事を読んでいただきありがとうございました。