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粉骨散骨の歴史
テレビや雑誌等により粉骨や散骨の認知度が広がってきました。
昨今、さまざまな供養の方法が広がり、手元供養や海洋散骨などを行う方が増えてきました。
しかし、粉骨や散骨の歴史は意外と古くからあります。
ここでは、粉骨や散骨の歴史についてご紹介します。
粉骨・散骨の歴史について
粉骨・散骨は古代からあったといわれています。
仏教の発祥地であるインドのガンジス川を皮切りにアジア中心に広まりました。
また、ヨーロッパでは芝生や海など特定の場所で粉骨散骨が行われ、その後アメリカへ普及していきました。
日本では、奈良時代から盛んに散骨が行われ、一般の人々も遺灰を川や海、山などに撒く習慣があったといわれています。
以下、粉骨散骨にまつわる文献の一部です。(約1200年前のものです)
万葉集(7~8世紀):詠み人知らずの歌(夫が亡き妻の遺灰を山中に撒いたときの歌)
『秋津野を人の懸くれば朝蒔きし君が思ほえて嘆きはやまず、玉梓の妹は珠かもあしひきの清き山辺に蒔けば散りぬる』
(愛しい妻は玉になったのだろうか、花になったのだろうか、清い山・山陰に撒いたら消え散っていく)
続日本後紀:淳和天皇の遺言
『骨を砕いて粉と為し、之を山中に散らすべし』
840年、火葬後京都市大原野山中に散骨されました。
親鸞聖人(浄土真宗開祖)1962年没
『それがし閉眼せば、加茂川に入れて魚にあたうべし』
古来より、日本では散骨が頻繁に行われていた葬送でした。
しかし、江戸時代に入ると檀家制度の確立によりお墓に埋葬されることが一般化され散骨文化は縮小していくことになります。
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